こんにちは。
 
シンガポールは、4月から6月が一番暑いと言われていましたが
 
過ごしてみたら確かにそれ以前より暑く感じる日が多い気はします。
 
 
 
しかも、怪我から復帰しようという時がちょうどその時だったので、
 
振り返ると今日まで、トレーニング以外の時間は
 
とにかくいかに身体を休め、回復させるかばかり考えていた気がします。
 
練習と試合以外は寝てばかりいた気がします。
 
 
 
怪我からの復帰というのは、実は簡単ではなくて
 
90分自分が望むレベルでプレイ出来るようになるには、それなりの時間が必要で、
 
段階・ステップを踏まなければなりません。
 
ただシンガポールにおいてはなかなかそうやって安全に確実に、
 
復帰に向けてリハビリやトレーニングをしていく事は難しくとにかくやりながら、
 
やれる範囲の痛みになったらプレイしながら、少しづつコンディションを上げていく事を考えてやってきました。
 
 
 
足首自体は、おそらく治るスピードを運動の負荷が越えてしまっていると思われるので、

全然良くなる気配はないですが、ここは気合いと薬とガチガチのテーピングで、
 
試合がない8月まで乗り切る覚悟です。
 
 
 
復帰して一ヶ月と少し。
 
パフォーマンス自体はコンディションの向上に伴って、ある程度納得出来るものが披露出来るようになっています。
 
最初の頃は、脚はつるし、とにかくゲームフィットネスが足りていないので
 
後半途中になると暑さと湿度もあって、まるで拷問かと思えるほどきつく、
 
脚が止まってしまう情けない自分がいましたが、
 
焦らず毎週少しづつコンディションを上げていこうと取り組んだおかげで
 
今は最後まで大声を張り上げてプレイ出来ています。
 
 
 
ただ、その間にひとつ大きな動きがクラブにあって、監督が変わりました。
 
クラブのチェアマンからは選手を替えるか監督を替えるかで考えた結果、
 
監督を替える事にしたと説明がありました。
 
選手を替えるという事は、当然助っ人外国人が真っ先にその標的になるわけで、
 
そういう意味では首の皮一枚繋がったという事になりました。
 
無理して復帰をしていなかったら今頃は僕もいなくなっていたかもしれません。
 
 
 
長年この世界に身を置いてきたおかげの嗅覚で、
 
今は歯を食いしばってでもやるべき時だと判断して頑張ってきて幸いでした。
 
チームは勝てなかったとしても、自分自身出来る限りのパフォーマンスを披露し続ける事が、
 
結果としてチームが勝つ為の一番の貢献になる。
 
この年になっていい意味で割り切る事を覚えた僕は、チームが勝つ為にまず一選手として
 
最後の最後まで自分の仕事を全うし、更には外国人助っ人としてローカル選手達をサポートし続ける役割を
 
やり切れる事が出来るようになりました。
 
 
 
頭と首をチームの様々な事に突っ込み過ぎて、結果なんにもならないという失敗を経て
 
ようやく今は精神的にバランス良くやれるようになった気がします。
 
勝てる時は勝てるし負ける時は負けるんです。
 
たくさんの人が関わる集団で動いている以上、自分に出来る事は僅かで、
 
ただしその僅かな役割を、どこまで質の高いものにしチームに貢献するかという事に
 
正しくアプローチ出来るようになった分、精神的にも楽になりました。
 
勝手な解釈ですが選手として背負うべきモノの量と重さは、今のこれがきっと正しいんだなと感じています。
 
 
 
そしていつか指導者になったり、自分が会社を持ったりした時には
 
より多くのものを背負う事になるんだと思います。
 
ただその時は、もうプレイヤーではないのでマネジメントとして背負う事になるので
 
選手をしていながら背負おうとして、苦しんでしまった「あの時」にはきっと戻らないでしょう。
 
ひとつひとつ、手探りではありますが自分なりに拾ってきたものがだいぶ形になってきた今、
 
まだ選手をやれている幸せを存分に感じながら、残りのシーズンやり切りたいと思います。
 
 
 
新しい監督は僕と同じ歳のイギリス人です。
 
ようやく光が見えてきたかもしれません。
 
 
 
それではまた。
 
 
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戸田 和幸 桐蔭学園高〜清水エスパルスへ。99年には、エスパルスのステージ初制覇に貢献。そして日本中が歓喜に湧いた02日韓ワールドカップ。そこに赤いモヒカンはいた。強烈なインパクトと、アツく、そしてクレバーなプレーは日本代表を初のベスト16へと導いてくれた。 その後、イングランドの名門とって南無・ほっとスパーFC、オランダのADOデン・ハーグ、東京ヴェルディ、サンフレッチェ広島、ジェフユナイテッド千葉等国内外のクラブを渡り歩き、今シーズンからはシンガポール、Sリーグへ。 世界を知る男がシンガポールから、サッカー事情やライフスタイルなど様々な話題をグローバルな視点でお届けします。


About The Author

戸田 和幸

桐蔭学園高〜清水エスパルスへ。99年には、エスパルスのステージ初制覇に貢献。 そして日本中が歓喜に湧いた02日韓ワールドカップ。そこに赤いモヒカンはいた。 強烈なインパクトと、アツく、そしてクレバーなプレーは日本代表を初のベスト16へと導いてくれた。 その後、イングランドの名門トッテナム・ホットスパーFC、オランダのADOデン・ハーグ、 東京ヴェルディ、サンフレッチェ広島、ジェフ千葉等国内外のクラブを渡り歩き、2013シーズンを最後に引退。 引退後は、解説者として活躍する傍ら2016年からはFC町田ゼルビアのジュニアコーチに就任。 世界を知る男がどのような指導者を目指していくのか?サッカーやライフスタイルなど様々な話題をグローバルな視点でお届けします。

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