さまざまなラストマッチ、さまざまなラストシーン 土屋 雅史 2014年12月19日 土屋雅史, 日本サッカー 師走。1年の中でサッカー界が最もざわめく季節。 この時期は日本中のありとあらゆる会場でさまざまな“ラストマッチ”が行われています。 私もこの1ヶ月だけで実に14試合の“ラストマッチ”に立ち会ってきました。 Jリーガーにとってのシーズンラストマッチ。 高校生にとっての3年間ラストマッチ。 大学生にとっての4年間ラストマッチ。 引退する選手にとってのサッカー人生ラストマッチ。 “ラストマッチ”という響きが意味する何とも言えない切なさや寂しさは、 それ故にその1試合の持つ意味を一層増幅させてくれます。 11月30日。 敗退すればその時点でJ1昇格への道が絶たれる“ラストマッチ”。 名波浩監督を緊急招聘して、1年でのJ1復帰を目論んでいたジュビロ磐田。 改めてここで言うまでもなく、後半アディショナルタイムで生まれた ゴールキーパーの決勝ゴールという、奇跡以外の何物でもない結末で突き付けられた敗北。 失点直後、タイムアップ直後、そして試合後の監督会見と、まだ事実を受け入れたくない指揮官の一連は 今でも瞼の裏に焼き付いています。 12月6日。 7年前と同様に大逆転でのリーグ優勝を信じ、ホームのカシマスタジアムでリーグ最終節に臨んだ鹿島アントラーズ。 結果は魂のハードワークを90分間貫いたサガン鳥栖に0-1で敗戦。 奇跡のシナリオは儚く弾け飛びました。 そして、この試合はワールドカップにも出場するなど、日本代表でも活躍した中田浩二のラストマッチ。 勝利を最優先に考える指揮官が彼をベンチ入りさせることはなく、 中田は引退の瞬間をスタンドで迎えることになりました。 試合後のセレモニー。 小笠原満男はずっと俯いていました。 同期が引退してしまう寂しさと、その同期の前で不甲斐ない試合をしてしまった悔しさと。 中田が胴上げされている間も、その場から一歩も動けない小笠原の姿は忘れることができません。 12月14日。 東の王者と西の王者が日本一を懸けて争う高円宮杯チャンピオンシップ。 柏レイソルU-18とセレッソ大阪U-18。 黄色とピンクの若武者たちが対峙する舞台は埼玉スタジアム2002。 持ち味をお互いに発揮したゲームは、後半に1点を奪ったセレッソ大阪U-18がそのまま逃げ切り、 高校年代日本一の称号を手にします。 J2降格の危機に際し、クラブはU-18を率いていた大熊裕司監督をトップチームの監督に指名。 実質はU-18との兼任という名目でしたが、そんな難局へと立ち向かう状況で双方の指導が成り立つはずもなく、 大熊監督は実質トップチームの指導に当たっていました。 日本一を勝ち取ったピッチの上で、歓喜に沸く選手たちの視界に飛び込んできたのは、 ベンチに入ることなく、スタンドから教え子たちの雄姿を見守った大熊監督。 大人の事情に翻弄されたピンクの高校生たちにとって、“監督”と呼べるのはただ1人だけ。 埼玉の空にジーンズ姿の“監督”が舞った姿も記憶の1ページに残しておきたい名シーンでした。 様々なラストマッチを重ね、2014年のサッカーシーンもいよいよクライマックスを迎えます。 写真は12月14日の埼玉スタジアム2002です。 Tweet