イスラム国によって日本人2名が人質になっているが、日本人が対象となった人質事件で最大のものは、
 
1996年に起きたペルーの日本大使公邸占拠事件だ。
 
これは、天皇誕生日のレセプションが催されていた大使公邸を武装した反政府ゲリラのMRTAが占拠したもの。
 
当時のペルー大統領は日系のフジモリだったので、日本は反政府組織から敵視されていた。
 
 
 
当初は招待客などを含め約600名が人質となったが徐々に解放され、およそ4か月後に特殊部隊が突入して救出に成功。
 
人質の生活はかなり自由だったようで、麻雀なども行われていたという。
 
しかし常に緊張感はあり、麻雀の最中に「伏せろ」の声が聞こえ、メンバーが慌てて床に伏せた。
 
ところがこれは、メンバーの一人がトイレに行くかなにかで、麻雀牌を伏せろ、という意味だったそうだ。
 
 
 
この人質の中に、後にホルヘの知り合いとなるトシさんがいた。
 
彼は首都のリマで「TOSHIRO’S」という日本料理屋を経営している。
 
テレビ番組やCMにも出演し、非常に有名な人だ。
 
このお店の近くに、マチュピチュという日本人向けのカラオケスナックがある。
 
ペルーには日系人や日本企業が多いので、こうした店が何軒かある。
 
そして大体どこの店でも、お金を払ってホステスを連れ出すことができる。
 
 
 
ある日、ホルヘはトシさんの店で食事をし、マチュピチュで吞む約束をして先にスナックへ行った。
 
店には、かなり年配の客が一人いた。
 
同じカウンターに座り、彼と雑談を始めた。
 
なんでも、JAICAかなにかの公的機関から派遣され、ペルーで技術指導をしているという。
 
それまでにもいろいろな国で同様のことをしていたそうだが、キルギスでは誘拐されたことがあるという。
 
 
 
これは99年に起きた事件で、反政府組織によって日本人4名と通訳が誘拐され人質となったもの。
 
日本でも大きなニュースとなった。
 
ホルヘもそのニュースをよく見ていたので、「え、あのときの方ですか。大変でしたね」と俄然喰いついた。
 
 
 
するとそこにトシさん登場。
 
「トシさん、この人も人質になったんだって」とおかしな紹介をして二人を引き合わせた。
 
人質になった経験を持つ人はめったにいない。
 
それが出くわしたので、当人たちも興奮して人質話が始まった。
 
 
 
後藤さんと湯川さんも無事解放され、酒を吞みながら人質話ができるようになることを祈っている。


About The Author

ホルヘ三村

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

Related Posts