コロンビアにやってきた。
 
国内リーグは最後が2チームによる決勝戦になるので、それに日程を合わせた。
 
第1レグが14日で第2レグは18日の日曜日。
 
 
 
ボゴタのミジョナリオスとサンタフェのどちらか、あるいは両方が決勝に残る可能性が高かったので、
 
14日にボゴタに着いても、運が良ければ第1レグを取材できる。
 
そう思い、14日着の21日発で1週間前にエアーチケットを購入した。
 
ブエノスからの料金は約750ドル。
 
 
 
ところが12日になって決勝の予定が急きょ変更された。
 
第1レグが18日で、第2レグが21日になってしまった。
 
まったく、南米らしい話だ。
 
そこで帰りの予約を変更したが、同価格のチケットがなく差額と違約金で約250ドルも払わせられた。
 
まったく、ついていない。
 
 
 
ついていないといえば、今回の取材は空振りだらけ。
 
監督や選手とは一切接触できない。
 
しかし20年来の知り合いであるサッカー協会会長のベドージャは大丈夫だろうと思っていた。
 
 
 
ホルヘが初めてコロンビアへ来たのは1994年のこと。
 
アメリカW杯の直前だった。
 
壮行試合として、カリで代表対イタリアのパルマとの試合が組まれていた。
 
パルマは、当時スター選手揃いの凄いクラブだった。
 
このパルマに代表選手のアスプリージャがいて、彼は前後半に分けて両方のチームでプレーした。
 
 
 
取材申請の方法もわからず、飛び込みで訪れたのがディマジョールという、プロリーグを統括する団体。
 
そこで当時ナンバー2か3だったのがベドージャだった。
 
大変親切にしてくれ、その後もコロンビアを訪れるたびに彼をオフィスに訪ねた。
 
南アW杯南米予選のアルゼンチン対コロンビアのときもバッタリ遭遇し、お互いに喜び合ったものだ。
 
 
 
協会の広報部長には、まだ日本にいたときからメールを送り電話でも2度話した。
 
会長インタビューの件も2月末には伝えておいた。
 
しかし、最近はいくらメールを打っても返事がない。
 
コロンビアに着いてから電話したが、協会にはいつも不在。
 
携帯番号を聞いてかけまくったが、1回もでない。
 
 
 
そこで協会に乗り込んでみると、1時間ほど待たされた末、ようやく部長に会えた。
 
彼によると、日本のメディアから500通以上のメール届き、とても対応などしていられない状況だという。
 
そこで改めて会長のインタビューを申し込むと、「今日と明日はカルタヘナ(地方都市)で、週明けも出張でいない。
 
会長は忙しいので、物理的に無理だ」との返事。
 
 
 
会長になっても基本はボゴタにいると思っていたが、多忙を極め飛び回っているようだ。
 
「出世とはこういうことか」としみじみ感じたものだ。
 
 
Luis-Bedoya44
 
写真はコロンビアサッカー協会会長。


About The Author

ホルヘ三村

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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