コロンビア着 ホルヘ三村 2014年5月22日 コロンビア, ホルヘ・ミム〜ラ コロンビアにやってきた。 国内リーグは最後が2チームによる決勝戦になるので、それに日程を合わせた。 第1レグが14日で第2レグは18日の日曜日。 ボゴタのミジョナリオスとサンタフェのどちらか、あるいは両方が決勝に残る可能性が高かったので、 14日にボゴタに着いても、運が良ければ第1レグを取材できる。 そう思い、14日着の21日発で1週間前にエアーチケットを購入した。 ブエノスからの料金は約750ドル。 ところが12日になって決勝の予定が急きょ変更された。 第1レグが18日で、第2レグが21日になってしまった。 まったく、南米らしい話だ。 そこで帰りの予約を変更したが、同価格のチケットがなく差額と違約金で約250ドルも払わせられた。 まったく、ついていない。 ついていないといえば、今回の取材は空振りだらけ。 監督や選手とは一切接触できない。 しかし20年来の知り合いであるサッカー協会会長のベドージャは大丈夫だろうと思っていた。 ホルヘが初めてコロンビアへ来たのは1994年のこと。 アメリカW杯の直前だった。 壮行試合として、カリで代表対イタリアのパルマとの試合が組まれていた。 パルマは、当時スター選手揃いの凄いクラブだった。 このパルマに代表選手のアスプリージャがいて、彼は前後半に分けて両方のチームでプレーした。 取材申請の方法もわからず、飛び込みで訪れたのがディマジョールという、プロリーグを統括する団体。 そこで当時ナンバー2か3だったのがベドージャだった。 大変親切にしてくれ、その後もコロンビアを訪れるたびに彼をオフィスに訪ねた。 南アW杯南米予選のアルゼンチン対コロンビアのときもバッタリ遭遇し、お互いに喜び合ったものだ。 協会の広報部長には、まだ日本にいたときからメールを送り電話でも2度話した。 会長インタビューの件も2月末には伝えておいた。 しかし、最近はいくらメールを打っても返事がない。 コロンビアに着いてから電話したが、協会にはいつも不在。 携帯番号を聞いてかけまくったが、1回もでない。 そこで協会に乗り込んでみると、1時間ほど待たされた末、ようやく部長に会えた。 彼によると、日本のメディアから500通以上のメール届き、とても対応などしていられない状況だという。 そこで改めて会長のインタビューを申し込むと、「今日と明日はカルタヘナ(地方都市)で、週明けも出張でいない。 会長は忙しいので、物理的に無理だ」との返事。 会長になっても基本はボゴタにいると思っていたが、多忙を極め飛び回っているようだ。 「出世とはこういうことか」としみじみ感じたものだ。 写真はコロンビアサッカー協会会長。 Tweet