禁酒明け ホルヘ三村 2015年3月6日 ホルヘ・ミム〜ラ, ライフスタイル 毎年恒例の1か月禁酒が終了した。 これは、たしか30歳の時に受けた健康診断で肝機能数値が高かったため、 1か月酒を抜いて再検査したのが始まり。 検診では毎年異常値があるので、禁酒も毎年行うことになった。 はじめの2~3年は、寝つきが悪いという一種の禁断症状もあったが、その後は何の苦痛もない。 「吞みたい」という欲求も起こらない。 「このまま、酒を吞まずに生きていけるのでは」とすら思うが、やはり解禁日は待ち遠しい。 「あと何日で吞める」というゴールがあるからできることなのだろう。 禁酒中は、「解禁したら、週に1回は休肝日を作ろうかな」と考えるものの、 吞み始めるとそうはならず、毎晩吞んだくれてしまう。 覚せい剤で何度も捕まる芸能人を見て、 「刑務所では覚せい剤なしで耐えられたのに、何で出所したらやってしまうんだ」と 思っていたが、実はホルヘも同類ということだ。 禁酒の後は、必ず再検査をする。 これで数値がどれほど下がっているが楽しみで、禁酒のモチベーションにもなっている。 しかしここ数年、下がることは下がるものの、正常値まで戻らないものがあるようになった。 これも歳のせいだろう。 この前の日曜日、杉並リーグの試合があった。 54歳のホルヘが出る大会だが、シニアリーグではない。 バリバリの一般の部だ。 かつて指導していた少年チームのOBが中心のチームで、ホルヘは創立者であり監督でもある。 そのため、戦力には全くならないものの、10番を背負って先発でピッチに立つ。 そして、失点しなければ前半はプレーを続ける。 この試合は、準決勝進出がかかっていた。 引き分け以上でベスト4になるという、楽な条件だった。 しかし始まってみると、明らかに劣勢。 完全にボールを支配されている。 「これはヤバイ。失点したら命取りになる」と判断し、15分ほどで早々とベンチの若手と交替した。 これが功を奏し、先制後に追いつかれたものの1-1で終了。 創立者が素早く退くところは、大塚家具とえらい違いだ。 しかしホルヘは、今回の大塚家具の騒動は出来レースではないかと疑っている。 あれだけ報道されると、ものすごい宣伝効果となる。 両派が株を買い漁るのでは、との憶測から株価も上がっている。 頃合いを見計らって、「会長は高級路線部門を担当し、社長は大衆向けの新ブランドを立ち上げ、 会長もそれに全面協力する」、などと発表するのではないだろうか。 新ブランドを立ち上げるのに最も苦労するのが、知名度を高めることだ。 しかしそれを、宣伝費ゼロで報道が全国レベルで行ってくれる。 上がった株価はさらに上昇するだろう。 たとえ上がらなくても急落はない。 したがって騒動前より資金は潤沢となり、それを新ブランドにつぎ込める。 娘は元経営コンサルタントだったとか。これくらいの絵は描けるはずだ。 Tweet