およそ1か月の長きに渡って不在となっていたアルゼンチン代表監督だが、やっとエドゥアルド・バウサ新監督が就任することとなった。
前監督のマルティーノは、コパ・アメリカで2年続けて優勝を逃したことで解任の可能性が高まったものの、五輪兼任監督ということもあり続投が決定。
しかし、優勝できなかったとはいえ2回ともPK戦の末の準優勝で進退問題となるとは、さすがアルゼンチン。
 
 
こうしてリオへ向けての準備に入ったマルティーノだが、わずか数日で辞任。
理由は、協会のバックアップが期待できないから、というものだった。
実はアルゼンチンサッカー協会は、不正の発覚や内紛で大混乱していた。
司法当局が乗り込んでくるは、FIFAと南米連盟の監視員がやってくるは、あげくにはセグーラ会長はFIFAから辞任勧告を突き付けられた。
このような状況で求心力と信頼を完全に失い、各クラブとの交渉も満足に行えず、マルティーノが選んだ選手で参加できるのは6名という異常事態に陥った。
 
 
とりあえず五輪監督はU-20監督のオラルティコエチェアが昇格したものの、A代表監督はなかなか決まらない。
候補にはビエルサ、シメオネ、チリ代表監督を辞任したサンパオリ、ブルチャガらの名は挙がっていたが、一向に絞り切れない。
協会には「健全化委員会」なるものが設置され、FIFAから任命されたペレスが委員長に就任。
会長は空席で、ペレスが実質的なトップ。
民主的で開かれた協会へのスタートを切った。
従来の協会は、会長と気心の知れた幹部たちによって代表監督なども決められていたが、突然オープン化したためさまざまな意見が噴出してなかなかまとまらない。
それで、新監督決定まで多くの時間を費やした。
 
 
現役時代のバウサはストッパーで、90年イタリアW杯メンバーに選ばれたが、出場チャンスはなかった。
彼は非常に得点能力が高く、通算108得点を挙げ、これはDFの通算得点ランキング世界第4位だそうだ。
また長らくプレーしたロサリオ・セントラルでは、スーパースターのケンペスに次ぐ2位の得点をマークし、ニューウェルスとのクラシコにおける得点はクラブNo1の9得点。
 
 
引退後はアルゼンチンで監督の道を歩み始め、順調なキャリアを重ねる。
そして2008年には、エクアドルのリーガ・デ・キトを率いてコパ・リベルタドーレスを制覇。
エクアドルのクラブとして同大会初優勝という快挙で、バウサの存在が大きな注目を集めた。
このときホルヘは、クラブW杯の公式プログラム作成に携わり、エクアドルでバウサのインタビューを行った。
その際、手土産としてマテ茶を持って行った。
マテ茶は日本茶よりはるかに安く、1キロパックが300円くらい。
これを2個持って行ったら、「エクアドルでは、これは宝物だ」と大喜びされ、インタビューもスムーズに行えた。
彫が深くしわだらけで、ちょっと怖い印象だったが、実際には気さくなおじさんだった。
 
 
一昨年にはアルゼンチンのサンロレンソでもコパ・リベルタドーレス優勝。
サンロレンソはアルゼンチンの5大クラブのひとつながら、その中で唯一同大会のタイトルを持っていなかった。
ここでも悲願の初優勝を遂げ、バウサの株は大いに上がった。
 
 
彼はエクアドル人女性と再婚しており、14年の9月からエクアドル代表監督となることが内定していた。
しかしサンロレンソはクラブW杯のため彼を引き留め、この話はご破算。
今年からブラジルのサンパウロFCの指揮を執っていたが、そこに白羽の矢が刺さった。
 
 
バウサの代表監督としての初仕事は、メッシに会って代表からの引退宣言を撤回させることだそうだ。
 
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ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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