11月初旬に、ギックリ腰になったことはすでに書いた。
そして、それから20日弱という短期間でゴルフに行った。
普通の医者なら、絶対に許可しないような状態だった。
 
 
このゴルフは、大手商船会社の代理店が主催の招待コンペで、お得意様をゴルフで接待するもの。
ホルヘのアミーゴがこの会社の顧客なので、毎年参加させてもらっている。
コンペの方式は4人1組の団体戦で、招待された顧客に誘われた部外者も参加できる。
 
 
しかし、まだ痛みが残り背筋が伸びないような状態で、ゴルフなどできるのか非常に心配だった。
それでも無理をしたのには、二つの理由があった。
 
 
まず一つ目は、抽選会での景品が欲しかったから。
接待ゴルフなので順位は重要でなく、優勝しても小さなカップをもらうだけ。
しかしその後の抽選会にはなかなかの景品が用意され、去年はキャロウェイのサンドウェッジをゲットした。
チームメイトも、「具合が悪くなったら棄権すればいい。途中棄権でも、参加したのだから抽選会には出られる」と理解を示してくれた。
 

 
 
もう一つの理由は、早めのリハビリが回復に役立つのではないかと考えたからだ。
普通の整形外科は、患者に極力無理をさせない。
患者のほとんどが一般人で、治療目的は日常生活への復帰だ。
しかしアスリートを対象とするスポーツドクターは、競技への早期復帰を目標とし、ときには患者に無理もさせる。
 
 
ところが、それでも日本のスポーツドクターは甘いそうだ。
FC東京でプレーしたパラグアイ人のサルセドによると、日本の医者は大事を取り過ぎるという。
これは彼だけの意見ではなく、日本で知り合ったブラジル人選手もみなそう思っているとのこと。
過去の経験から、「この捻挫なら、2週間の安静でその後リハビリ」と思っても、日本の医師はそれ以上の休養を求めるのだそうだ。
できるだけ早くリハビリを始めるほうが復帰は早いとサルセドらは考えていたことを思い出し、このコンペに参加することにしたのだ。
 
 
いつもはフルセットのキャディーバッグを自ら担いでプレーするが、この状況でそれは無理。
クラブケースに3番ウッド、7番アイアン、サンドウェッジ、パターの4本だけを入れる。
腰にはコルセットを装着して準備万端。
 
 
ゴルフは腰をひねってバックスウィングし、ボールをヒットしてフォロースルーへ移る。
バックスウィングは自分の意思でひねるので問題ないが、フォロースルーはクラブの遠心力で引っ張られるので、腰に予想外の負荷がかかりそうで怖い。
そこで、はじめのうちは、ボールを打ったらクラブを止めるという感じでプレーしていた。
3番ウッドのティーショットは100ヤード程度。
しかし徐々にスウィングの加減がわかり、フェアウェイが硬くランが出たこともあり、200ヤード近く飛ぶようになった。
サービスホールの短いパー5では、3番ウッドで2回打ち、7番アイアンでグリーンにオン、ワンパットでバーディーを取ることもできた。
 
 
しかし、身体は徐々に悲鳴をあげ始める。
腰が痛むというより、背筋に乳酸が溜まりに溜まったような感じでジンジンする。
パターを杖代わりに青息吐息でプレーを終えた。
 
 
軽食やワインなどが用意された表彰式と抽選会会場では、日本企業の駐在員や日系人と同じテーブルに座った。
まだコパ・リベルタドーレス決勝の前で、話題はそのことになった。
ラヌースのメインスポンサーはヤマハ発動機なので、「ヤマハはいいチームと契約した」というような話だ。
 
 
ヤマハは1993年ころニューウェルスのメインスポンサーだった。
そしてそこに、ヨーロッパ帰りのマラドーナが移籍してきた。
するとニューウェルスはヤマハに対し、「スーパースターのマラドーナを獲得したのだから、スポンサー料を上げろ」と迫ってきたそうだ。
たしかにマラドーナが入れば注目度はグーンとアップし、宣伝効果も高くなる。
しかしスポンサー料は契約の段階で確定しているもので、それを途中で変更するのはおかしな話だ。
 
 
契約を盾にヤマハがこの申し出に応じないと、「それならば、集合写真のときに選手たちに腕を組ませる」と脅してきたという。
胸の前で腕を組めば、ユニホームに描かれた「YAMAHA」の文字は隠れてしまう。
エル・グラフィコやソロ・フットボールといったサッカー雑誌が全盛の時代で、付録にはチームの集合写真のポスターが多かった。
現在のように写真が簡単にネットで送信できる時代でなく、集合写真はかなり重要なものだったのだ。
 
 
値上げの決着はどのようになったのか知らないが、ヤマハはこうしてアルゼンチンサッカー界の洗礼を受けた。
そして現在は、地域限定型の中規模クラブのラヌースと契約し、安いスポンサー料で非常に大きな宣伝効果をあげている。
 

 
 
さて腰の方はというと、コンペの翌日はとても快調。
早期リハビリの効果絶大と思ったが、その次の日から悪化してしまった。
やはり、この段階でのゴルフは時期尚早だったようだ。
発症から1か月ちょっと経った今も、背骨の形が完全に戻っていない。
来週の火曜日に帰国するが、長時間の旅が影響しないか心配だ。


About The Author

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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