6月23日の夜サンティアゴに着き、翌日のコパ・アメリカ準々決勝
 
第1試合チリ対ウルグアイに行ってきた。
 
ここまでの道のりが、実に長かった。
 
 
 
取材申請の受付は3月上旬に行われ、ホルヘは所定の方式に従って申請した。
 
しばらくするとユーザーネームとともに、今後の手続きを説明するメールが届いた。
 
申請が許可されたということだ。
 
 
 
ユーザーネームと自分で作ったパスワードにより、
 
コパ・アメリカオフィシャルウェブのプレスページに入ることができ、
 
さまざまな情報が得られる。
 
 
 
4月に、グループリーグの取材希望試合を選んで申請する手続きがあった。
 
ホルヘは初めから、今回は決勝トーナメントからと決めていた。
 
以前は開会式から行き、ほぼ全試合取材ということもやっていた。
 
今のように会場数が多くなく、グループリーグは同じ日に同会場で2試合が行われていたから可能だった。
 
また、掲載できるしっかりとしたサッカー雑誌があった。
 
つまり、結構お金になったのだ。
 
しかし今やその雑誌も無く、他のメディアも同時期に行われている女子W杯に力を注ぐため、
 
コパ・アメリカの掲載スペースがない状況。
 
そんなこんなであまり仕事にならないので、途中からの参戦を決めた。
 
 
 
5月になり、グループリーグの取材希望者に対する追加手続の連絡があった。
 
ホルヘは希望していないので、当然なにもしない。
 
するとその後、プレスページに入れなくなった。
 
ユーザーネームとパスワードを入力しても、
 
「ユーザーネームまたはパスワードが正しくありません」の表示が出る。
 
そこで、「ユーザーネームまたはパスワードを忘れた場合」と書かれているところをクリックした。
 
すると、登録しているメールアドレスを記入して送信をクリックすると、
 
忘れたものをメールで知らせてくれる、とある。
 
そこでそれをやってみたが、「このアドレスは登録されていません」のメッセージ。
 
どういうことだ?
 
 
 
プレス関係の問い合わせメールアドレスは、以前プレスページの中で見てメモしてあった。
 
そこで、問い合わせメールを発信。
 
しかし、1週間で3回送っても返信がない。
 
ウェッブページ経由でないと受け付けないシステムなのかもしれない。
 
ここに至って、どうやら取材登録者リストから外されたのでは、という疑問が湧き上がった。
 
コパ・アメリカは、すでに開幕している。
 
 
 
オフィシャルウェッブは、大会の組織委員会が責任者のはず。
 
そこに連絡がつかないのだからどうしようもない。
 
このままでは、おそらく取材パスは得られない。
 
そこでホルヘは頭を使った。
 
組織委員会より上の、主催者であるCONMEBOL(南米サッカー連盟)の広報にメールを送った。
 
するとこれが功を奏し、組織委員会からユーザーネームとパスワードが記載されたメールが届いた。
 
パスワードなどはこれまでと同じだが、これを入れたらプレスページに入ることができた。
 
登録抹消されたものが復活したのだ。
 
 
 
これで、登録が一度は抹消されたことは確かになった。
 
しかし、なぜ?グループリーグの取材希望をしなかったからなのか。
 
そんなばかな。プレスを管理するコンピューターのシステムだかプログラムの設定ミスに違いない。
 
 
 
準々決勝の取材申請は、グループリーグ最後の試合が終了した午後10時からだった。
 
ホルヘはチリ対ウルグアイ、アルゼンチン対コロンビアを希望。
 
チリに出発する直前、チリ対ウルグアイの取材許可者リストが発表された。
 
その中に、ホルヘの名はない。
 
 
 
試合当日の24日、取材パスをもらいにプレスセンターのあるナシオナル・スタジアムへ行った。
 
ちなみに、この前にプレスページを確認すると、
 
アルゼンチン対コロンビアの許可者リストが発表されていたが、そこにもホルヘは入っていなかった。
 
 
 
スタジアムは、グラウンドが数面、大小の体育館や自転車競技場まである広大な運動公園の中にある。
 
コパ・アメリカのため、公園全体が厳重に管理されている。
 
まだパスを持っていないホルヘは中に入れず、パスを発行しているところまで、
 
公園の約半周をぐるりと歩かねばならなかった。
 
 
 
受付で名前を告げ、用意されてあるはずのパスを待つ。担当者がパスを探し、やがてコンピューターを操作。
 
そして、「あなたは登録されていないので、取材パスは出せません」という。
 
そこで、「そんなことはない。ウェッブのプレスページにこれで入れるぞ」と、
 
ユーザーネームとパスワードを示した。
 
彼がそれでプレスページに入り、「あ、本当だ」と驚いている。
 
 
 
これまでの状況を説明し、「一度抹消されたが復活した。抹消されたのは、プログラムの不備だ。
 
復活したのにここのコンピューターに登録されていないのもプログラムの問題だ」と力説。
 
さらに、「準々決勝2試合の取材申請を出したが、リストに載っていなかった。
 
それも、そのコンピューターに載っていないからではないか」と尋ねると、
 
「おそらくそうでしょう」との答え。
 
 
 
この担当者はホルヘの話に納得し、試合ごとの許可を下す担当者と相談。
 
こうして、大会のパスは無事発行され、チリ対ウルグアイの許可も下りた。
 
しかし、アルゼンチン対コロンビアは定員とのことで断られた。
 
 
 
とにかくこれで取材できることになった。
 
一度宿へ戻って準備を整え、キックオフ2時間目にスタジアム入り。
 
パスをかざしていくつかのコントロールを通過し、後はピッチへ降りるだけとなった。
 
そのとき、「このパスは記者席用です」と止められた。
 
ピッチ用は青で、記者席用は赤だそうだが、たしかにホルヘのは赤だ。
 
「中には入れないから、上から撮ってくれ」という。
 
確かにピッチのカメラマン席が一杯になると、スタンドにもカメラマン用の席を設けることがある。
 
しかし、それは比較的前列。記者席からでは遠すぎる。
 
 
 
パスを渡してくれた担当者のハビエルからは、そんなことは一言も聞いていない。
 
そこで、「ハビエルに確かめろ」とまたひと悶着。
 
係員が呼んできた現場の責任者と話し、「ハビエルが間違えたのだろう」ということで許可を得た。
 
 
 
そして、やっと撮影にこぎつけた。
 
本当に、ここまでたどり着くのは長かった。
 
これでついに、1989年ブラジル大会を皮切りに、
 
南米全10カ国で開催されたすべてのコパ・アメリカを制覇したのだった。
 
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About The Author

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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