前回の投稿から間が空いてしまいました。
 
4月の9日に足首の治療の為に日本に一時帰国をし30日にシンガポールに戻ってきました。
 
前回のブログで書いたようになかなか思うように治療を受けれない現状があって、
 
専門医にも会えず治療も週に一度しか超音波も当てれずで時間ばかりが過ぎて行きました。
 
 
 
シンガポールにはシンガポールのやり方があって、怪我は休んで治すという考え方があり、
 
休めばもちろんいつかは患部自体は治癒するという意味で間違いではないですが
 
プロのアスリートに対する考え方としては残念ながらあまりにルーズでその間に失うものが多すぎると思います。
 
僕自身としてクラブに対する義務を最大限果たすためには一日でも早く怪我から復帰をし、
 
プレイをすることしかありません。
 
 
 
なのでひと月、シンガポールで怪我に対してどんな対応を受けたのかを説明し、それでは余りに足りない事が多く
 
復帰に時間がかかってしまうので日本で治療とリハビリを受けれるようにお願いをして許可を得て帰国しました。
 
 
 
物事というものは見る角度によって同じものでも全く違うように目に映ります。
 
今回の自分のケースでも、僕の側から見れば専門の医師にも会えない、治療も受けれない
 
ただ休めば治ると言われてストレスは相当に大きかったし、
 
クラブの方からすれば自分達の考え方がスタンダードだから、他で何か治療をするなら自費でやってとなります。
 
 
 
日本に帰ってからも、逐一写真も添えながらどんな施設でどんな治療やトレーニングをしているか、医師の診断は、
 
と報告していましたが元々知識が備わっていない分、なかなか理解もしてもらえない現実があって
 
結局日本に帰れば早く良くなるんじゃなかったのか?というやり取りがあって
 
70%程度回復したところで仕方なくリハビリを切り上げてシンガポールに戻ってきました。
 
 
 
実際日本では最高の施設に入り最高レベルの医者や理学療法士に診てもらいながらリハビリをしていました。
 
ただの捻挫と思いきや実は複雑なものだったので、もしシンガポールに残っていたら
 
おそらく全然治る方向には向かってなかったろうなと肝を冷やしてます。
 
 
 
東南アジアでプレイしている日本人選手は年々増えていると思いますが、
 
特に怪我について苦労している話をよく耳にします。
 
日本やヨーロッパでは当たり前の事がここでは全く存在しないのです。
 
お隣の韓国でも、僕がプレイしたKリーグのクラブは怪我をしたらただ休んで、ジョギングが出来るようになったら
 
すぐ試合をやらせてそこでパフォーマンスが悪かったらもういらないという恐ろしいシステムでした。
 
見ていてそれはまるで蟻地獄みたいなもんでした。
 
 
 
選手というものは怪我と常に隣り合わせのものです、
 
怪我をするのはサッカーの一部でありある意味仕方のない事なんです。
 
クラブというものはそこまで含めて選手を抱えなくてはならないと僕は考えますが、
 
国やレベルによっては怪我をした選手に更にプレッシャーを与え無理をさせて、
 
結果壊れてしまうという現実は未だ残っていると思います。
 
 
 
こういった事は本当に難しく、如何に理解してもらえるかが全てになりますが、
 
今回の僕の件でも最終的には比較対象がないのでもちろん証明のしようがないんですが
 
日本に帰れば・・・となってしまいました。
 
 
 
それでも三週間弱、日本で治療とリハビリを受けれたのは幸いでした。
 
だましだましにはなると思いますが週明けからチームの練習に合流し試合出場にむけて動き出します。
 
 
 
せっかく縁あって来たこのシンガポール、できる限りプレイをし勝ち、家族と一緒に生活を楽しむ事が目標です。
 
次は試合に出場しましたという報告が出来る事を願っています。
 
それではまた。
 
 

 
 
 
戸田 和幸 桐蔭学園高〜清水エスパルスへ。99年には、エスパルスのステージ初制覇に貢献。そして日本中が歓喜に湧いた02日韓ワールドカップ。そこに赤いモヒカンはいた。強烈なインパクトと、アツく、そしてクレバーなプレーは日本代表を初のベスト16へと導いてくれた。 その後、イングランドの名門とって南無・ほっとスパーFC、オランダのADOデン・ハーグ、東京ヴェルディ、サンフレッチェ広島、ジェフユナイテッド千葉等国内外のクラブを渡り歩き、今シーズンからはシンガポール、Sリーグへ。 世界を知る男がシンガポールから、サッカー事情やライフスタイルなど様々な話題をグローバルな視点でお届けします。


About The Author

戸田 和幸

桐蔭学園高〜清水エスパルスへ。99年には、エスパルスのステージ初制覇に貢献。 そして日本中が歓喜に湧いた02日韓ワールドカップ。そこに赤いモヒカンはいた。 強烈なインパクトと、アツく、そしてクレバーなプレーは日本代表を初のベスト16へと導いてくれた。 その後、イングランドの名門トッテナム・ホットスパーFC、オランダのADOデン・ハーグ、 東京ヴェルディ、サンフレッチェ広島、ジェフ千葉等国内外のクラブを渡り歩き、2013シーズンを最後に引退。 引退後は、解説者として活躍する傍ら2016年からはFC町田ゼルビアのジュニアコーチに就任。 世界を知る男がどのような指導者を目指していくのか?サッカーやライフスタイルなど様々な話題をグローバルな視点でお届けします。

Related Posts