数年前、日本でのこと。
ホルヘがスーパーでレジ袋一杯の買い物をし、その袋を自転車の前カゴに入れ、
駐輪場から出そうとしたら、袋の上に入れてあった玉子が落ちて2個ほど割れてしまった。
すると近くいた中年の主婦が、「(スーパーに)言えば替えてくれるわよ」と親切にも教えてくれた。
おそらく本当なのだろう。
お客様に愛される店になることを目指しているスーパーは、その程度のことならサービスでやってくれそうだ。
しかしホルヘは主婦にお礼は言ったものの、そのまま持ち帰った。
プラスチックのパックに入っているから汚れてもおらず、溶いて玉子焼きにでもすれば充分食べられる。
しかしそれよりも、自分のミスで割った玉子を替えてもらうことを潔しとしなかったからだ。
「替えてくれるわよ」の主婦は、そういうことを感じないのだろうか。
自分の過失を店のサービス精神でカバーしてもらうことを当然だと思っているようだ。
そして、こうした考えの人は意外に多い。たぶん、お店のサービス過剰が原因だろう。
その点、アルゼンチンはシビアだ。
昨日、スーパーへ行きレジに並んでいると、ガシャンという音と、「アーッ」という声が聞こえた。
そちらへ目をやると、レジで支払いを済ませ出口へ向かっていた客の足元でワインボトルが割れていた。
レジ袋の底が破れて、ボトルが落ちたのだ。
すると店の人は、客のフォローはせずにモップで床のワインを拭き始めた。
客は、「店でくれた袋が破れたんだから、そっちの責任だ。別のワインをよこせ」と詰め寄るが、相手にしない。
「残念でしたね」という程度の反応しか示さない。結局、客は怒って帰って行った。
いくらなんでも、このケースは店に責任があり、新しいワインを渡すべきだと思う。
まだ店の中で、店が渡したレジ袋が破れたのだから。
しかし店側の言い分は、責任は袋にある。文句は袋を作った会社へ言え、ということらしい。
昨年からレジ袋は有料化されたが、その袋は行政が定めた緑色のものに統一されている。
燃やしても有害物質があまり出ない原料を使っているという。
つまり、店側はレジ袋を選べないのだ。
強制的に使わされている袋が原因で起きたトラブルの責任を、なぜ負わねばならないのか、ということらしい。
「お客様に愛される店」という発想からは程遠いが、たしかに理屈は合っている。
もっともこのスーパーは中国人経営なので、この理屈がアルゼンチンのものか中国のものか定かでない。