23日の天皇誕生日に、約9か月ぶりで日本へ戻って来た。

アルゼンチンを発ったのは、クラブW杯翌日の21日午前9時。

今回もブエノスアイレス、サンティアゴ(チリ)、シドニー(オーストラリア)というルートで、

成田でなく羽田に午前5時ころ到着。

エセイサ国際空港に行って気がついたのは、ブエノスアイレスからサンティアゴまで飛ぶKLMが、

その後のフライトのカンタスと別グループだということだった。

普通、乗り継ぎ便は同じ航空会社か同じグループの便を使う。

そうでなければ高くなる。

最近は航空会社の提携やグループ化が活発で、どの会社がどのグループなのかよくわからない。

ホルヘはKLMも当然ワンワールドグループだと思っていたが、スカイチームグループだった。

オランダのKLMがブエノスアイレスとサンティアゴ間だけを飛んでいるはずはなく、

オランダ発、ブエノス経由のサンティアゴ行きなのだろう。

ブエノスで乗客のほとんどが降りてその後はガラガラだから、破格の安さでチケットを売っていると察せられる。

現に、機内は満席だった。

こうした事情なので、別のグループが利用しても高くならないのに違いない。

ホルヘはKLMに乗るのは初めて。

オランダ語のアナウンスが新鮮だった。

映画も豊富で、HIROの最新版があった。

外交特権を有する某国の大使館を相手に奮戦し、さあ、これからが佳境というところでサンティアゴに到着。

思いの外、フライト時間が短かった。

サンティアゴ発、シドニー発の便も順調で、予定より早く羽田に着いた。

入国審査を終えて機内預けの荷物を受け取るターンテーブルに近づくと、

提携会社としてカンタスの業務を行っているJALの職員が、

「ミムラサマ~、ミムラサマ~」と声を張り上げてホルヘを探している。

これは、何かがあったに違いない。

大体、予想はついた。荷物のトラブルだろう。「はい、三村です」と名乗ると、

「じつは、お預けになられた荷物が・・・」と申し訳なさそうに説明を始めた。

荷物が違う便に乗せられてしまうというのは、たまに耳にする話だ。

しかしそれは羽田空港の地上職員の責任ではないし、相手がまだ新人のような女性だったので、

ホルヘは、「ああ、荷物がどっか行っちゃったの?」と、彼女がいいにくいであろうことを、先にいってあげた。

これが、さりげない親切というやつだ。

しかし彼女はそれに対し、むしろ血相を変えるようにして、

「いえ、どこかに行ったのではありません。サンティアゴの空港で間違えてマドリッド行きに積まれ、

そこからフランクフルトを回って、明日ANAの便で戻ってきます」と力説する。

荷物はすべてバーコードで管理されており、どこにあるかはっきりわかるようになっている。

彼女や航空会社にすると、「どっかに行っちゃった」というのは紛失ということになるようなので、

管理下にあるという意味で、「どこかに行ったのではない」という言葉を使ったようだ。

しかし乗客からすれば、着くべき荷物が着いていないのは、

まぎれもなく、「どっかに行っちゃった」ということではないのか。

マドリッドだろうがフランクフルトだろうが、それは、どっかだ。

1日遅れで羽田に着く荷物は、航空会社が家まで届けてくれるというので、宅配便の経費は助かった。

しかし、おかげで寒い思いをした。

夏の南米から冬の日本へ来るので、いつもはスーツケースに入れていた冬物を空港で取り出すのだが、それができない。

早朝で気温が低い中、薄着で震えながら帰った。

荷物がマドリッドへ行ったせいで熱を出したら、これが本当のスペイン風邪だ。


About The Author

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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