報道によると、リオ五輪に訪れている日本人が強盗や盗難の被害にあっているという。
コパカバーナ周辺での犯罪が多いようだ。
ホルヘが初めてブラジルへ行ったのは、1989年のコパ・アメリカ取材だった。
それまで海外に行ったことがなく、人生初の渡航が単身でのブラジル。
不安だらけで、事前調査に力を入れた。
 
 
ブラジル在住の人からは、「こちらでは、ニコンを持って走ると家が建つといわれているので、機材には十分注意するように」とのアドバイスをもらった。
「持って走る」というのは、かっぱらいのことだ。
「家が建つ」というのはさすがに大げさだが、当時のブラジルは国内産業保護のため、たしか800%という非常に高い関税をかけていた。
したがって輸入品が非常に少なく、それらを観光客からかっぱらって売れば、かなりの収入になったのだ。
 
 
このアドバイスを受けてホルヘが行ったのは、レンズ用バッグにガムテープを貼ることだった。
バズーカ砲みたいに大きいレンズには専用のバッグがあり、そこにNIKONのメーカー名が入っている。
このまま担いでいると、「私はニコンを持っています」と宣伝していることになる。
そこで、これをテープで隠した。
一般の人は大型レンズのバッグやケースをめったに目にしないので、メーカー名がなければ、中に何が入っているがわからなくなる。
 
 
リオでは、コパカバーナに面したホテルに泊まった。
部屋の中には、「ビーチには貴重品は持って行かないでください」という注意書きがあった。
しかし写真を撮らねばならず、一眼レフを持って外へ出た。
ビーチで撮影していると、タンクトップに短パンという制服警官が寄って来て、「そんなもの持っていると危ない」注意された。
真昼間のビーチでも犯罪は起きるのだ。
 
 
水道の水は飲むな、氷はもっての外とさんざんいわれていたが、これは守れなかった。
試合のない日はコパカバーナで日光浴。
すると、カイピリーニャというカクテルの売り子が近くを通る。
これは、サトウキビの焼酎ピンガにライム果汁と砂糖、氷を入れたもの。
キンキンに冷え、少しずつ氷が溶けることで旨味が増す。
「菌があってもアルコールで消毒される」といい聞かせ、何杯も飲んだ。
 
 
結局下痢にはならなかったが、帰国2日後から扁桃腺が腫れて40度近い高熱が出た。
そのときは、「旅の疲れが出たのでしょう」と医者もいっていたが、今ならジカ熱やデング熱と疑われて隔離されていたかもしれない。
 
 
リオを二度目に訪れたのは2006年。
コパカバーナで開催されたビーチサッカーのW杯だった。
毎日、ホテルから会場までビーチを歩いて行ったが、以前ほど警官や警告の看板が目につかず、海水浴客ものんびりしている。
バーで聞いた話では、昔のように危険ではなくなったとのこと。
しかし、今はまた危ないようだ。
 
 
犯罪は、国の経済状態に直結している。
89年は軍政から民政に移行した直後で混乱しており、もの凄いインフレで2度のデノミが行われた。
クルザード、クルゼイロ、新クルザードという3種類の紙幣が流通しており、クルザードはゼロを6個取る、クルゼイロは3個取る、新クルザードはそのままという複雑さ。
06年はBRIKSと呼ばれ景気の良かった頃。
そして今は再び不景気で、日本でも報道されるように大規模なデモが必発している。
短絡的に、「金がなければ盗むしかない」と考えるのがラテン気質なのかもしれない。
 
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About The Author

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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