89年3月、私がアルゼンチンにやって来て最初に行ったスタジアムはボカ・ジュニオルスのホーム、「ラ・ボンボネーラ」でした。
それまではサッカーの試合会場というと国立競技場での平穏な光景しか知らなかったので、ボンボネーラの周辺で早くもその異様な空気を感じた時には正直なところ怯みました。
サポーターは男性がほとんどでみんな恐そうだった(ように見えた)し、ライオットシールドを持った重装備の機動隊が立ち並んでいるし、騎馬隊もいるし、放水車まであるし。
一瞬「ここ、本当にサッカー会場?」と疑ったほどです。
でも、スタンドに入った途端、場内の雰囲気にすっかり魅了されてしまいました。
その時の様子を、私は当時の日記にこう書いています。
 
「サポーターたちが太い声で絶えず歌い、腕を力強く突き上げて叫び、飛び跳ねるとスタンドが大きく揺れ動く。座ったまま呑気に何か飲み食いしながら観戦している人なんていない。私がいたところは座席があるのにみんな立っていて、後方の人たちは座席の背もたれの上に立っている状態。ところどころに女性もいたけど、辞書にも載っていないような卑猥な言葉を使って相手選手とレフェリーに激しく野次を飛ばしている。ゴールが決まると歓声があがり、手を突き上げながら何やら大声で一斉にコールしたかと思うと、それまでを上回る大音量で歌い始める。その狂気の沙汰、熱狂度ときたら、まるでパンクバンドのライブのよう。小さな会場で大勢のオーディエンスが前方のステージにのめり込んでぎゅうぎゅう詰めになり、ここで火災でも発生したらもう終わりだわと感じながら極限状態で興奮&陶酔するというシチュエーションを、そのまま大きなスタジアムに移した感じ」。
 
ゲームについては一言も触れず、サポーターの情熱と歌声に圧倒されたことだけが綴られています。
初めてのスタジアムで、アルゼンチンのサッカー場の魅力がスタンドにあることを思い知らされたというわけです。
 
 
その魅力の基盤となっているアルゼンチンの応援歌。
世界的にも「優れた替え歌」として定評があって、南米諸国を始め欧州、日本でも歌われていますね。
最も有名なのは「コーヒールンバ」のメロディーを使った応援歌ですが、アルゼンチンでは毎シーズン「新曲」が登場してはスタジアムを大いに盛り上げてくれています。
新しい応援歌を聴くたびに私がいつも感心するのは、その「選曲」と「歌詞」。
サッカー場の雰囲気とはおよそ結びつかないような曲調に、クラブに対する強い愛情や相手チームに捧げる(?)言葉を巧みに合わせる才能は大したもの。
そこで今回は、私が独断で選んだ「名歌」の一部を動画つきで紹介したいと思います。
 
 
まずこちらは、ボカのサポーターたちがライバルであるリーベルプレートのために作った替え歌。
いきなり「リーベルよ、2部に降格した気持ちはどんなもんだい?」という挑発的なフレーズで始まるこの歌は、2年前のワールドカップでもアルゼンチンのサポーターたちが各会場で大合唱して一躍有名になりました(もちろん歌詞はブラジルを茶化す内容に替わっていましたが)。
今ではリーベルのサポーターが逆にボカを茶化す新バージョンも出来上がっています。
サポーターが相手を挑発することは日本では考えられないことですが、歌で嘲笑されたら同じように歌でやり返すのはアルゼンチンサッカー界の風習でもあります。

 
このオリジナルとなったのは、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルというアメリカのバンドが1969年に発表した「Bad Moon Rising」という歌。
この軽快なメロディーがまさかアルゼンチンのスタジアムで大合唱されるようになるなんて、バンドのメンバーも想像できなかったでしょうね。

 
 
 
次に、こちらもボカのサポーターが歌っているものなのですが、元となった歌とのギャップに驚かされます。
歌詞はこれまたリーベルのサポーターを茶化す内容です。

 
元の歌はこちら。アルゼンチンのエステラーレスというバンドの「Ella Dijo」という歌で、愛しい彼女とのちょっと複雑な関係を歌ったちょっとセンチメンタルな曲調。
これを応援歌にしてしまうとは、発案者の創造力にただただ脱帽です。

 
 
 
最後に紹介するのはサンロレンソのサポーターによる応援歌で、現時点で私が一番気に入っている歌。
実は「替え歌を作らせたらサンロレンソのサポーターの右に出る者はいない」と断言できるほどアルゼンチンで最もクリエイティヴな人たちで、前出のクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルの歌を最初に応援歌に使ったのも彼らでした。
ディエゴ・マラドーナも自伝の中で「サンロレンソのサポーターはいつも気のきいた歌を歌う」と太鼓判を押しています。
この歌はとにかく歌詞がいい。クラブへの愛をシンプルかつ情熱的に歌い上げています。
動画は9分25秒と長いのですが、どんどん盛り上がっていくところが鳥肌ものです(しかも大敗した試合で!)。

(歌詞)
♪頑張れサンロレンソ、前に進め
君のサポーターはここにいるから、君を慕う人がここにいるから
サンロレンソのファンであることは、他と違う
この想いは誰にもわからない
説明はつかない、本当さ
日に日に君を愛している、いつもそばにいるよ
この想いは本物さ、愛しているよ、君なしでは死んでしまうほど

元は「Tres Marias」という歌で、歌っているのはアルゼンチンを代表するシンガーソングライター、アンドレス・カラマーロ。
PVではアルゼンチンの著名なミュージシャンたちが登場するので、こちらの音楽事情に詳しい方は、知っている人が出てくるかどうかぜひチェックしてみてください。

 
 
 
スタジアムにライブハウスの興奮と熱狂をもたらしてくれる、替え歌の達人たち。
アルゼンチンのサッカーにとってまさに「君なしでは死んでしまう」ほどの大きな存在と言えるでしょう。
 
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