1979年生まれ。
それこそ高校時代から将来を嘱望されるタレントがキラ星のごとく揃い、実際にその後も日本サッカー界を牽引してきた、今年で37歳を迎える世代の“ゴールデンエイジ”。
ただ、いまだに日本男子サッカー史上、FIFA公認の大会では最高成績となる準優勝を経験した1999年のワールドユース組や、その世代が中心となってベスト8まで勝ち上がったシドニー五輪を経験していない“ゴールデンエイジ”組が今でもJリーグの舞台で活躍していることは、むしろこの世代の凄さを現しているような気が今、改めてしています。
 
 
開幕当初から首位を快走。
もはや5年ぶりのJ1昇格までカウントダウンに入ったコンサドーレ札幌。
そんなチームを最後尾から支えているのが増川隆洋。37歳。
年代別代表の経験はなく、大阪商業大学卒業後も1年の浪人生活を経てJリーガーになった彼が、北の大地で若い選手たちを従えて、再び自身もJ1の舞台に返り咲くべく奮闘しています。
以前、ご本人にお話しを伺った時、「また刺激のある日々を過ごしていますし、やっぱり毎試合毎試合負けられないという想いでやっていますし、これがないと自分としても物足りない日々になると思うので、そういう意味では凄くやりがいのある日々を過ごしているのかなと思います。もうちょっと長く頑張ってやりたいと思います(笑)」と笑いながら話してくれた増川。
名古屋時代の2010年にはJ1優勝も経験している彼が、今やこの世代のトップランカーであることに疑いの余地はありません。
 
 
 
ミハイロ・ペトロヴィッチ体制になって、あと少しという所で逃し続けてきたタイトルを、とうとう今シーズンのルヴァンカップで獲得した浦和レッズ。
そのルヴァンカップの準決勝第1戦で決勝アシストを見せたのが平川忠亮。37歳。
負傷もあってシーズン2試合目の出場となった彼のアシストが、チームの戴冠に小さくない影響を与えた事実を見逃すわけにはいきません。
清水商業高校時代は“ゴールデンエイジ”を牽引し続けてきた小野伸二とチームメイト。
筑波大学を経て入団した浦和でのプロ生活も今シーズンで15シーズン目。
色々な意味で常に周囲からの厳しい視線にさらされている浦和の中で、右サイドを圧巻のスピードと運動量で走り続ける姿は、サポーターからも絶大な支持を得ています。
今や2006年のリーグ優勝を知る唯一の選手となった平川はアシストを決めた試合後、「『良くやっているね』と言われながらも今年は全然出ていなかったし、その歯がゆさもありました。やっぱり試合も出たかったし、出ているからこそ『37歳までやっていて凄いね』と言われる訳で、いるだけで試合に出ていなければ、凄いとも何ともないと思っていた中で悔しくて色々やっていました」ときっぱり。
このメンタルがある限り、きっと彼はまだまだサイドを駆け上がり続けてくれるはずです。
 
 
 
主力が大量に抜けた今シーズンは茨の道。決して内容は悪くないものの、結果の伴わない試合が続き、残念ながらJ2降格が決定してしまった湘南ベルマーレ。
福岡大学卒業と同時に入団した浦和で13シーズンを過ごし、昨年から湘南へと加入した坪井慶介。37歳。
いまだに衰えない脚力と全力でトレーニングへ向かう真摯な姿勢で、非常に若手の多いチームに大きな影響を与えてきました。
彼も大学時代まではまったくの無名。
プロ入り後にそれまでの努力が実り、サッカー選手であればだれもが目標とするワールドカップの舞台にまで辿り着いた選手です。
「ずっと上を見ながら底辺を走ってきたと自分では思っているので、“雑草”と言われることに抵抗もないです。意外とプロからの僕しか知らない人は、そういう時代のことを知らないんですけどね。だから、レッズの時も試合に出られなかったり、ベルマーレに来てからも試合に出られなかったりしている時に、『何でそんなに変わらずに努力できるんですか?』と聞かれたこともありますけど、『いや、昔の方がひどかったからな』と思いますから。そう思うと、なかなかしつこくて根の強い“雑草”に育ちましたよね(笑)」と以前に自分のキャリアを振り返ってこう語っていた坪井。
最強の“雑草”はきっとこれからもしつこくサッカーと向き合っていくことでしょう。
 
 
 
目の前のプレーを1つずつ積み上げてきたことで、37歳を迎えた“ゴールデンエイジ”の外側から中心へと居場所を力強く移してきた彼ら3人を筆頭に、あるいは『日の当たらない』道を諦めずに歩み続けてきた彼らの奮闘が、日本サッカーをさらに彩り溢れるモノにしていることは忘れたくない、確かな事実です。