ブラジルのシャペコエンセ一行を乗せた飛行機が事故に遭った悲しいニュースについては、皆さんもご存知のことと思います。
人口20万人の小さな町のクラブが、大陸規模の大会であるコパ・スダメリカーナで決勝に進出したというのに、その決勝戦に行く途中であんなことになってしまうなんて。
事故から数日経った今も、まだショック状態から抜け出すことができません。
 
 
事故が起きる前日まで、私は準決勝での結果を嘆いていました。
シャペコエンセの対戦相手だったアルゼンチンのサンロレンソを応援していたからです。
サンロレンソは一昨年のコパ・リベルタドーレスで優勝し、同年12月にモロッコで開催されたクラブワールドカップに出場していますが、その事前番組のロケで日本のテレビ局のお手伝いをさせていただいたことがきっかけで何人かのサポーターとすごく親しくなり、また主人の親友がクラブのマーケティング部の主任を勤めていて近しい存在であるだけでなく、監督を務めるディエゴ・アギーレは私にとって、その昔ぺニャロールのスター選手だった頃からの憧れの存在。
そんな理由からサンロレンソにはなんとなく個人的に思い入れがあって、今回のスダメリカーナの優勝を心から願っていました。
 
 
サンロレンソのホームで行なわれた準決勝第1戦は、先制しながらもシャペコエンセが同点に追いついて1-1のドロー。
そして11月23日、1点差で勝てばサンロレンソの決勝進出が決まるという第2戦は両チーム無得点のまま終わり、アウェーゴール方式でシャペコエンセがファイナリストとなったわけなのですが、この試合では後半のロスタイムにサンロレンソの決定的なチャンスがありました。
94分にサンロレンソがFKのチャンスを得て、ゴール前で待ち構えていたDFマルコス・アンジェレリがシュートを打ったものの、シャペコエンセのKダニーロによるファインセーブで阻まれてしまいます。
この時のダニーロの、まるでハンドボールのGKのようなプレーには大声をあげて悔しがってしまいました。
 
 

*サンロレンソが後半ロスタイムにセットプレーからの決定的なチャンスを逃すシーン
 
 
「あのゴールが決まっていたら勝っていたのに」という悔しさは、サンロレンソのサポーターはもちろん、アギーレ監督も選手たちも、アンジェレリ本人も痛いほど感じていました。
そして私も、リプレイを見てはため息をついて嘆くこと実に3日間。
週末のリーグ戦で気持ちが入れ替わるまで敗戦の悔しさを引きずっていたのです。
 
 
でも、まさかこの嘆きが5日後にはシャペコエンセのサポーターのものになるとは、一体誰が予想できたことでしょう。
事故があった直後、シャペコエンセのサポーターたちがSNS上で「あのゴールが決まっていればこんなことにならなかったのに」と書き込み、ある女の子などはツイッターで「アンジェレリのゴールを今からでも入ったことにできるのなら何でもする」と呟いていて、心が締め付けられる思いになりました。
一度は決勝進出に喜んだ人たちに、なぜこんな思いをさせなければいけないのでしょう。
偉業を成し遂げたことがなぜ、まるで間違っていたかのようなことになってしまったのでしょう。
終了間際の好セーブで決勝進出の立役者となってMVPに選ばれ、試合後のインタビューで「2~3センチの差でシュートを止めることができた。神様のおかげだ」と嬉しそうに話しながらも「サンロレンソは偉大なチームだった」と相手を称えることを忘れていなかったダニーロ。
彼は一度は救出されながらも、搬送先の病院で亡くなりました。
「もしもあのゴールが入っていたら…」。
この嘆きは、あの試合で悲喜を体験した全ての人々の胸に永久に焼きつくことでしょう。
亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りします。

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9月21日、決勝トーナメント1回戦でインデペンディエンテと対戦した時のダニーロ


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マラドーナとアルゼンチンに憧れ、20歳のときに単身でブエノスアイレスに渡ったが最後、結局そのまま定住。大学在学中からサッカー専門誌にコラムを連載し始め、現在もライター活動を続けている。家族はウルグアイ人フォトグラファーの夫、仕事で中東に在住する長女、そして大学で猛勉強中の次女。映画全般、へヴィメタル、格闘技が大好き。明日はどうなるかわからない国アルゼンチンで、ブルース・リーの名言「水になれ」をモットーに気楽に暮らすアラフィフ世代。

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