この前はじめて、国立野球場へ行ってきた。
アルゼンチンにも野球はあり、昔はかなり盛んだったという。
知り合いに、75歳くらいの日本人移住者がいる。
彼は中学生のときに移住を決意。
そして、移住すれば身体が資本と、高校では野球部に入った。
昔の日本人ならほとんどが野球の経験者。
したがって移住地でのお楽しみは、自然と野球になる。
中には、甲子園出場者も数名いたそうだ。
そうした人たちが、やがてアルゼンチンの大会に参加する。
日本人のレベルは高く、球界をリードしてアルゼンチン人を指導するようになる。
こうして、アルゼンチンの野球と日系社会は深い関係を築くようになった。
約50年前は注目度もそれなりにあったようで、サッカーがない時期は、メトロポリタンリーグという大会の模様が、新聞のスポーツ面のメインだったそうだ。
 
 
今年は在アルゼンチン日本人会の100周年ということで、さまざまな行事や催し物が行われた。
その一環として開催されたのが、国際野球大会。
中学生年代のアルゼンチン選抜2チーム(赤チームと青チーム)に日系人選抜、さらにペルーからAELU(アエル)が招待された。
AELUはペルーの日系人クラブだ。
もちろんサッカーもあり、以前ここの出身者が日本でもプレーしていた。
 
 
この大会はアルゼンチン野球連盟の主催で、AELUの招待に掛かる飛行機や宿泊の費用は、すべて連盟が負担したという。
これも、連盟と日系社会の絆ゆえだ。
 
 
国立野球場というのだから、このスタジアムはアルゼンチンで最高峰のもの。
パンアメリカン大会なども開催され、キューバ代表もプレーしたことがある。
しかし、スタンドはバックネット裏と1,3塁側だけ。
収容人員3000人と何かに書いてあったが、そんなに入らないだろう。
プラスティックの座席が取り付けられてあったが、そのほとんどがなくなっている。
1塁スタンドには、わずか2席しか残っていない。
日本の村営スタジアムとか町営スタジアムのほうが、はるかにしっかりしている。
 
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ホルヘが観たのは、AELU対アルゼンチン青チームの試合。
AELUは日系人らしく、試合開始前にはグランドに向かって一列に並び、帽子を取って、日本語で、「オネガイシマス」とあいさつ。
もちろんアルゼンチンチームは、そんなことはしない。
AELUはランナーが1塁に出ると、手堅く送りバントをしてくる。
しかしアルゼンチンは、「犠打などつまらない」とばかりに強振してくる。
 
 
ユニホームの上着をパンツの外に出している選手はいるし、1塁コーチを務めていた大人の指導者は、スナック菓子の袋を持ち、ポリポリ食べながら指示を出していた。
だからといってふざけているわけではない。
真剣に取り組んでいるのだが、そのスタイルが国や環境によって違うのだ。
この両者は、ここまで2戦2勝の好成績。
ホルヘは途中で退席したが、その時点ではアルゼンチンがリードしていた。
ダラダラしているようでも、要所はしっかりしめているのだ。
 
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About The Author

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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