“11月16日”と言えば、日本が初めてワールドカップ出場を決めた『ジョホールバルの歓喜』の日付。
特に今年はちょうどあれから20年経った節目の年ということで、感慨深い想いを持ってその日を迎えた方も少なくなかったかもしれません。
ただ、僕にとって“1997年11月16日”というのはもう1つの大きな意味を持っている日付でもあるんです。
なぜなら、僕が高校サッカーに別れを告げたのが、まさに“1997年11月16日”だったからです。
 
 
1997年の高崎高校サッカー部は何を間違ったか、前橋育英と前橋商業という県内の絶対的な2強を相次いで倒し、23年ぶりにインターハイの全国切符を勝ち獲ります。
それはもちろん「全国に行きたい!」とか言ってはいましたけど、本当に行けるなんて正直思っていなかったので(笑)、実際全国に出てくるチームのどこが強いかなんてことも大してわからないまま、インターハイの会場だった京都に乗り込んだんです。
 
 
初戦は3-0でいわゆる快勝。
2回戦は地元の高校に1-0。
「アレ?2回も勝っちゃったよ」的なノリのまま、3回戦もPK戦で勝ち上がってしまい、ベスト8まで進出します。
相手はさすがに僕らも名前は知っていた国見高校。
ただ、先制された試合を気合で追い付き、PK戦まで持って行ったんです!
しかも、5人目を迎えた段階でリードしていたのは我が校。
先攻だった国見のGKは決めたものの、後攻のウチが決めれば全国4強に!
ところが、5人目のキッカーは緊張もあったのか、甘いコースに蹴ってしまい、GKにストップされてしまいます。
ちなみにそれ、僕ですけどね(笑)
 
 
結局PK戦で敗れ、全国ベスト8という考えられない結果を残して、群馬へと帰還した高崎高校サッカー部。
こうなるとやはり選手権ヘの想いも自然と高まるもの。
やっぱり高校生にとって、一番の晴れ舞台は選手権ですから。
でも、我が校は進学校だったんです。
運動部の活動は基本的にインターハイまで。
以降は受験勉強に集中するのが通例でした。
レギュラーに3年生は8人いたんですけど、センターバック、ボランチ、2トップ下というセンターラインの3人が、選手権を前に引退しちゃったんですねえ。
 
 
ある意味、新チームに近い状況で迎えた選手権。
何とか決勝までは勝ち進みましたが、その相手はインターハイの決勝でも対戦した前橋商業。
後々仲良くなった前橋商業の友達に聞いたのですが、ウチに負けた直後の夏合宿は地獄の様相を呈していたらしいです。
それもすべてはウチを倒して全国に出るため。
その差は歴然でした。
結果は1-4(一応、ウチの1点は僕が入れたことだけ補足しておきます・笑)。
完敗を喫し、僕の高校サッカーに終止符が打たれたのが、まさに“1997年11月16日”だった訳です。
 
 
その夜。
最後まで現役を続けた6人の3年生は、全員であるヤツの家に集まりました。
みんなで夕飯を食べ、確かみんなでボーリングに行き、ダラダラしながら日本代表の決戦が始まるのを待っていたんです。
でも、その日の午後に80分間の試合をした高校生にとって、試合の始まる時間は遅すぎました。
結局、キックオフの時間に起きていたのは、僕も含めて3人。
その内の1人はもともとサッカーを見ることに興味がなく、コタツに入りながら漫画を読んでいましたし(笑)、もう1人のヤツはなぜかちょっとイラン寄り。
まともに日本を応援していたのは僕だけで、結局あの歴史的な岡野選手のVゴールをちゃんと目撃していたのは、6人中2人しかいなかったんです(笑)
 
 
個人的にはある意味アウェイの中で迎えた“ジョホールバルの歓喜”。
そんな思い出と相まって、僕の中で“1997年11月16日”は忘れられない日として、記憶に強く残っています。
写真はそんな6人も含め、最近高崎高校の同期で集まってやったフットサルの時のもの。
みんな歳を取りましたよ。
 


About The Author

土屋 雅史

サッカー界のオモシロご長寿番組「Foot!」でディレクターを務めた後、制作部プロデューサーへ(昇進か?)。 国内外問わずのサッカー全般に関する知識はハンパなく、gol.界隈では「博士」の称号を得ている知識人。 スタジアムから土のグラウンドのピッチ横までジャンルを問わないサッカー観戦と、テレビ前でのサッカーウォッチングツアーはお勤めの会社への忠誠心だけではないはず! そこにはサッカーへのLOVEがある!溢れる知識と独自のサッカー観であなたの「観るサッカー」に彩りをそえちゃいます!

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