W杯の開幕日、アルゼンチンは別の事柄で大白熱、というか国を二分するような騒動になっていた。
テーマは中絶を合法化するかどうか。
カトリックが強いアルゼンチンでは、これまで中絶は神を冒涜する行為として禁じられていた。
しかし時代に鑑みて合法化の気運が高まり、衆議院で合法化法案が審議、採決されることになったのだ。
 
 
この問題への国民の関心は高く、少し前からテレビでは盛んに討論番組が放映されていた。
日本の討論番組は数名が参加するのが普通だが、こちらでよく見られたのは1対1によるサシの討論。
賛成派と反対派のそれぞれ1名がスタジオでやりあう。
画面は左右に二分され、両者のバストアップが常に映っている。
司会者もいるにはいるが、最初と最後にしゃべるだけ。
参加者は弁護士や学者、作家といった文化人が多い。
 
 
反対派が「お腹の子供を殺すのは・・・」というと、賛成派がすかさず「殺すという言葉は使わないで。中絶です」と注意する。
「あ、失礼」と反対派は詫びるが、議論が白熱するとまた「殺す」という言葉が口をつき、「殺すといわないでっていったでしょ」と賛成派に指摘されると、「言葉を変えたって、殺すことに違いないじゃないか。人間を殺すのはダメで、胎児ならいいのか。胎児だって人間だ」というような言い争いが30分とか1時間続く。
このシステムは非常に面白い。
予算も安く済むので、小さな放送局は真似したらいいと思う。
 
 
国会の審議は前日の朝からはじまり、周囲には賛成派と反対派が集まって気勢を上げていた。
国会議事堂の正面からは、中央に緑地帯のある大通りが伸びている。
この緑地を緩衝帯とするようにフェンスが設置され、議事堂に向かって右側が賛成派、左側が反対派というように分けられた。
 
 
ホルヘは午後1時ころそこへ行ってみたが、時間が早かったため、特に反対派の人数は少なかった。
しかし仕事が終わった夕方から一気に人々が集まった。
反対派は水色がイメージカラー、賛成派は緑で、その色のスカーフを巻いたり、顔にペイントしている女性が多かった。
 
 
妊娠中の検査で、胎児の染色体異常がわかるという。
そこで異常が判明すると、中絶するケースも他の国ではあるようだ。
そのことを取り上げ、反対派陣営では、ダウン症の子供の写真と「僕たちは殺される」というコピーを入れた生々しいポスターを掲示していた。
 
 
日本では中絶が合法なのは当たり前ととらえられているが、長らく非合法だったものを合法にすることへの反発は大きい。
しかもそれが宗教的なものだったし、現在も中絶を認めないローマ法王庁のトップであるフランシスコ法王はアルゼンチン人。
「母国が中絶を合法化することは、法王の顔に泥を塗ることになる。少なくとも、彼が在任中に行うべきではない」という意見も多い。
 
 
一方で、貧しい地区では、性的知識の不足から12、3歳の少女が妊娠出産するケースが珍しくない。
こうしたことが、貧困に拍車をかけている。
また、レイプや性的虐待で妊娠する被害者もいる。
さらに問題なのは、闇の中絶によって年間に約400名が死亡していることだ。
 
 
衆議院議員の定数は255名。
事前調査では、賛成が123名、反対が121名、態度保留が11名だった。
審議は夜を徹して行われ、延々23時間続いた。
クラリン紙が途中で行った独自調査では、反対派が128名と逆転し、賛成派126名、不明1名だった。
 
 
そして行われた採決では、賛成129票、反対125票、棄権1票と再逆転で衆議院を通過した。
アルゼンチン政界は汚職がはびこっていて碌なものじゃないと思っていたが、とことん議論を尽くした審議や、同じ政党なのに賛成と反対に分かれた投票結果を見ると、「これこそ民主主義の原点だ」と見直した。
 
 
さて、先ほどアルゼンチン対アイスランドが終わった。
1-1のドローはアイスランドの大健闘だった。
この国は人口34万人弱で、歴代のW杯出場国の中で最も少ない。
人口が少ないということは、サポーターも少ないということだ。
この問題を解決しようと頑張ったのはヨハネソン大統領。
夫人とボールを蹴りながら、「アイスランドを応援して」と語るビデオをSNSに投稿した。
国内のサポーターはこれ以上増やせないので、他国にそれを求めたのだ。
 
 
しかしこれでは不十分と感じた大統領は、狙い撃ちというか一本釣りを行った。
それはブラジル国民への呼びかけだ。
サッカー協会の行事に出席した際、「ブラジルから素晴らしいサポーターが自国の応援に行くでしょう。しかしそれとは別に、人口わずか34万人の我々の挑戦も応援してくれたら・・・」とメッセージを送った。
 
 
ブラジルからは毎回多くのサポーターが詰めかけるし、なんといってもブラジルのライバルであるアルゼンチンがアイスランドと同組。
アルゼンチン戦のとき、ブラジル人は「アルゼンチン負けろ」と思っているのだから、「どうせなら、うちを応援してよ」と誘ったわけだ。
さすが小国の大統領、世渡りが上手い。
今回の引き分けは、ひょっとするとブラジル人サポーターの声援が届いたからかもしれない。
 


About The Author

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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