ベルマーレという希望 土屋 雅史 2018年11月3日 土屋雅史, 日本サッカー 初めて取材に行ったのは2005年のこと。 場所はまだすぐ後ろを新幹線が走っていた大神グラウンド。 当時の上田栄治監督と坂本紘司選手のインタビューでした。 確か開幕から好調をキープしていたチーム状況もあって、“序盤戦の注目チーム”としてお話を伺いに行ったんですけど、Jリーグファンにとってはおなじみの元広報・遠藤さちえさんが「注目チームって響き、いいですね!」とキラキラした笑顔で話していたのを今でもハッキリと記憶しています。 J2に降格して6年目。 その時のベルマーレは、そういう立ち位置でした。 いまだに僕がJリーグのベストゲームだと思っているのは、2009年J2第49節のヴァンフォーレ対ベルマーレ。 勝ち点91で並んだ4位と3位の直接対決は、まさにスペクタクルの一言。 ベルマーレが2点を先行すれば、ヴァンフォーレも執念で追い付いてみせると。 まるでプレミアリーグのような、スピーディーで、インテンシティの高い、超好ゲームに終止符を打ったのはミスターベルマーレ。 後半アディショナルタイムの決勝ゴールに、興奮したベルマーレサポーターがスタンドの柵を破壊してしまったのはご愛敬。 昇格を決めた最終節のホーリーホック戦と共に、あの日の小瀬の興奮を今でもハッキリと記憶しています。 中継者として指揮官の涙に立ち会ったのは2015年J1セカンドステージ第14節のFC東京戦。 コーチとして1回、監督として1回、昇格シーズンの降格を味わった曺貴裁監督は、初めての残留を達成したゲーム後、監督インタビューで感極まって涙を流したのです。 会場の味の素スタジアムは、その2年前に無念の降格を突き付けられた舞台でもあり、いろいろな感情が混じり合って、目頭を熱くした曺監督の想いが溢れ出した瞬間を、今でもハッキリと記憶しています。 Jリーグというカテゴリーの中で、どのクラブも、どの監督も、どの選手も、どのスタッフも、そしてどのサポーターも、間違いなく様々な想いを抱えて、このサッカーという競技を取り巻く環境に身を置いています。 ただ、きっとベルマーレというチームは、数々の経験してきた喜びより、数々の経験してきた悔しさの方が、ちょっとだけ多いクラブなのかなと、個人的には思ってきました。 だからこそ、そういう様々な感情がトラックのある、あのスタジアムでも“想い”に乗っかって、素晴らしいグルーヴを生み出しているのかなと。 埼玉スタジアム2002の歓喜の1つ前。 ルヴァンカップ準決勝第2戦。 柏レイソルとの激闘は両者譲らずPK戦へ。 後攻のアウェイチーム6人目。 キッカーがペナルティスポットに歩み寄る、まさにその時。 それまで“コール”だった守護神の秋元陽太へ送る声が、“チャント”に変わったんです。 10000人を超えるスタジアムが絶唱する秋元陽太のチャント。 その数十秒後。 ボールはクロスバーを越え、ベルマーレサポーターは歓喜に包まれました。 あの一連のグルーヴは忘れられないなあ。 ホント凄かった。 当人の秋元陽太も試合後、「PKは止められなかったけど、皆さんと一緒に外させたので本当に良かったです」と感謝を口に。 とにかく記憶に強く刻まれる一戦でした。 ルヴァンカップ決勝。 三村ロンドさんの選手紹介をあのスタジアムで聞いた時、なんかジーンと来たんですよね。 「本当にベルマーレが決勝を戦うんだな」って。 僕はベルマーレの番記者でもサポーターでも何でもないんですけど、なんかジーンと来たんです。 杉岡大暉のゴールも、優勝が決まった瞬間も、もちろん鮮明に思い出せますが、やっぱりあのロンドさんの選手紹介を聞いた時が一番良かったなあ。 “戦闘開始!”って感じで。 高山薫がルヴァンカップを高々と掲げた時も、僕が思い浮かべたのはロンドさんだったり、遠藤さんだったり、現広報の吉川さんだったり、ベルマーレを綴り続けてきたライターの隈元さんだったり、ベルマーレを伝え続けてきたレポーターの安田さんだったり、そういう人たちだったんですよね。 ああ、もちろん一緒にドイツロケにも行った曺さんも(笑) なんか、そうだったんです。 「みんな喜んでるんだろうなあ」って。 「みんな泣いちゃったりしてるのかなあ」って。 改めてベルマーレを取り巻くすべての皆さん。ルヴァンカップ優勝、おめでとうございます! Tweet