ディエゴ・アルマンド・マラドーナが、アルゼンチンサッカー界に帰ってきた。
ヒムナシア・イ・エスグリマの監督に就任し、8日から練習に参加。
初采配は15日のラシン戦となる。
 
 
2010年W杯南ア大会の予選途中から代表監督となり、苦戦を続けギリギリで予選突破。
ボリビアには1-6で敗れ、代表の最多失点記録を更新。
本大会ではベスト8に進むも、ドイツに0-4で大敗している。
 
 
その後はUAEに活動の場を移し、アルワシの監督をしたかと思えばUAEのスポーツ大使という、何かよくわからない役職に就任。
さらに17年から2部のアルフハイラを率いた。
かと思えば、ベラルーシのディナモ・ブレストの会長にもなっている。
今年はメキシコ2部リーグのドラードスを率いて昇格に挑むも失敗していた。
私生活では右膝の古傷が悪化してまともに歩けないようになり、7月末に手術を受けた。
さらに離婚した前妻との間での資産分割問題が泥沼化し、つい先日は、かつて夫婦で暮らしていた家に家宅捜査が行われるという一幕もあった。
 
 
そんな中、不振にあえぐヒムナシアからのオファーが届いた。
現在ヒムナシアは5戦1分け4敗で24チーム中の最下位。
さらにスーペルリーガ残留争いの基準となるプロメディオも1.00で最下位。
リーグは始まったばかりとはいえ、早い段階で巻き返さないと来季は2部落ちということになる。
そこで、監督としての手腕は疑問ながらそのカリスマ性に賭け、マラドーナに白羽の矢を立てた。
 
 
それにしても、マラドーナの人気には改めて驚かされる。
彼がアルゼンチン国内のクラブを率いたのはマンディジューとラシンのみ。
そしてマンディジューでは12試合1勝6分け5敗で、ラシンでは11試合2勝6分け3敗。
いずれも、ろくな成績ではない。
 
 
それなのにヒムナシアのサポーターは彼を熱烈歓迎している。
クラブの残留を本気で考えたら、「なんでこんなポンコツ監督を呼んだんだ」とクラブ批判が起こりそうだが、そんなものは皆無。
それどころか、マラドーナをスタジアムで見るためにソシオになろうという新規加入希望者がクラブに殺到して100メートル以上の列をなしている。
 
 
アルゼンチンでは国を挙げて彼の就任を喜んでおり、ヒムナシアとは永遠のライバルであるラプラタ・クラシコの相手であるエストゥディアンテスまでもが、「10番(マラドーナ)、アルゼンチンサッカーへの復帰を祝福する」との公式メッセージをアップしている。
https://twitter.com/EdelpOficial/status/1169958427835142145?s=20
 
 
たしかに稀代の名選手ではあったが、コカイン中毒、ドーピング違反、脱税、暴行、傷害、暴言と度重なる事件を起こしながら、なぜ彼はこれほど愛されるのか。
ホルヘは、その理由はフォークランド紛争だと思っている。
アルゼンチンに近いマルビーナス諸島(英名フォークランド諸島)はイギリス領だが、アルゼンチンはかねてから自国領土と主張している。
82年、時の軍事政権が無謀にもここへ軍事侵攻。
しかし近代兵器に上回るイギリスに惨敗した。
そしてその86年W杯メキシコ大会で、マラドーナはイングランド相手に”神の手ゴール“と”6人抜きゴール“をやってのけた。
まだ敗戦のショックと反英感情が強い中、アルゼンチンサッカーの最新兵器がイギリスを撃破したことに国民は熱狂し留飲を下げた。


 
  
もしフォークランド紛争がなかったら、あるいは神の手と6人抜きの相手がイングランドでなかったら、マラドーナの人気もこれほどではなかっただろう。
 


About The Author

ホルヘ三村

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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