マウロ・サラテというアルゼンチン人選手がいる。
イタリアのラツィオ、インテル、イングランドのウエストハム、QPRなどでもプレーしたので、ご存じの方も多いだろう。
彼は17歳のときにベレスでプロデビューし、切れ味鋭いドリブルを武器に攻撃の中心選手として活躍。
2007年のU-20W杯に参加し、チェコとの決勝戦でゴールを決め優勝に貢献した。
 
 
A代表でも通用するレベルながらアグエロとスタイルが被るせいか召集はされていない。
数年前にはチリ代表監督から帰化して代表に入らないかとのオファーを受けるも、断っている。
 
 
サラテといえばベレス。
マウロにはローランド、セルヒオ、アリエルという兄がいて、この兄弟4人全員がベレスのユースで育ちプロになった。
サラテ一家にとってもベレスは特別な存在で、マウロは「アルゼンチンではベレス以外でプレーしない」と公言していた。
 
 
しかし昨年、すったもんだの末にボカへ移籍。
兄たちの反対に耳を貸さず、断絶状態にまでなったといわれる。
ベレスサポーターはこの行為に激怒し「裏切者」と呼ぶようになった。
 

 
 
先日スーペルリーガでベレス対ボカの試合があった。
スタンドからはマウロに対して容赦ないブーイングが浴びせられる。
そんな中、「忘れないし許さない、裏切者」と書かれた旗が掲げられた。
アルゼンチンではこの程度の個人に対する中傷や攻撃は普通のこと。
しかし今回はなぜか首都警察が、暴力行為の扇動に当たると判断し、当事者を特定して起訴することとした。
 
 
有罪なら2万円から10万円の罰金となりそうなこの当事者が、「信じられない」と自身のツイッターでつぶやくと、そこに思わぬ人からリツイートがあった。
それはベレスのシンボルといえるチラベルトからのもの。
彼はPKやFKを蹴るキーパーの草分けで、通算62ゴールをマーク。
ベレスの黄金時代を築いた功労者でもあり、1994年にはコパ・リベルタドーレスを制し、同年のトヨタカップでACミランを倒して世界王者に輝いている。

 
 
そのチラベルトが、「私は君とベレスと共にある。我々は家族だ」と励ましの言葉を送った。
それに対してお礼を返すと、さらにチラベルトは、「罰金の支払いについては俺に相談しろ」と、まるで「罰金は俺が払ってやる」ともとれるメッセージを送った。
これはすなわち、クラブのヒーローがマウロへの中傷を容認したわけで、日本ではありえないだろう。
 
 
そのチラベルトを巡り、今週、ショッキングな事実が元コロンビア代表FWアスプリージャによって語られた。
テレビインタビューの中で、アスプリージャは仰天のエピソードを紹介。
それは98年フランスW杯の南米予選、パラグアイ対コロンビアの試合後に起こった。
この試合でアスプリージャとチラベルトは激しくやりあって両者退場処分となり、結果はパラグアイの勝利。
 
 
試合後ホテルの部屋にいるアスプリージャに電話があり、そこのバーでの面会を求めた。
アスプリージャは同僚のアリスティスサバルとバーへ出向いた。
すると10人以上のコロンビア人がおり、彼らは麻薬組織のメンバーだった。
中には、麻薬王パブロ・エスコバルの元側近もいたという。
 
 
試合でのチラベルトの行為に激怒していた彼らは、「デブのチラベルトを殺っちまおうと思うんで、あんたの許可を取りに来た」と切り出した。
驚いたのはアスプリージャ。
なぜ自分に相談しに来たかは不明ながら、「そんなことをしたら、コロンビアサッカーが終わってしまう。サッカーはグランド内だけのことだ。チラベルトは俺を殴ったが、二人とも退場になってそれで決着はついている。ダメだダメだ」と必死でたしなめたそうだ。
もしここで説得できなければ、チラベルトは悲惨な出来事に見舞われたかもしれない。
 


About The Author

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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