スポーツ新聞に、全日本少年サッカー大会の記事が載っていた。
鹿児島で開催されているそうだ。
実はホルヘ、1986年から5年ほど、この大会の役員を務めていた。
当時は夏休みに開催され、東京のよみうりランドが会場だった。
ここには、よみうりランド会館という宿泊施設があった。
和室に二段ベッドが並んだ大部屋で、セミナーなどの団体客を主な対象とした施設。
したがって宿泊料も安く大食堂も完備。
大会には選手15名、指導者2名の編成が48チーム参加し、そこに大会役員や学生スタッフも加わって約1週間寝食をともにするので、この環境は最適だった。
 
 
よみうりランドには、東京ヴェルディの前身である読売クラブの練習グランドがあった。
それも土、人工芝、天然芝の3面。
現在のJリーグは素晴らしい練習場を備えているが、当時の日本リーグではこれほど充実した施設を持っているチームは他になかった。
ちなみに人工芝のサッカーグランドはこれが日本初に近い。
現在のものと違いアスファルトの上に絨毯を敷いたようなもので硬く、毛足もすぐペッタンコになってしまう。
それでも珍しさから、東京周辺のサッカー人はここでプレーすることに憧れていた。
 
 
大会はグループリーグとトーナメントが土と人工芝で、決勝戦は天然芝で行われた。
グループリーグは試合数が多く、これをこなすためにグランドの半面で試合を行うようにしていた。
小学生の大会なのでボールは4号球だが、ゴールは成人用を使用。
当時は静岡県の清水がサッカー処として知られていたが、そこでも小学校に設置されているゴールは成人用だった。
ゴールが大きければ得点が入りやすく、それが清水の小学生をサッカーに引き付ける理由のひとつだとホルヘは思っていた。
 
 
この大会も得点を増やすことを目的に成人用ゴールを使ったのかもしれないが、それによる弊害もあった。
全国大会に出るチームともなれば、身長160センチ以上の選手も少なからずいる。
彼らはキック力もあり、4号球を軽々と飛ばす。
グランドは正規の半面のため、ゴールラインからハーフラインは35メートルほどだ。
このため、ハーフライン近くからのFKがバシバシ決まる。
優れたキッカーがいるチームはこれが大きな得点源となり、大味な試合が年々増えていった。
 
 
正式な役員となる前年の85年、すでに役員だった知り合いに誘われて大会を見学に行った。
そして翌年、まだ渋谷の岸記念体育会館内にあった日本サッカー協会で開催された大会準備会議にも、件の知人に呼ばれて参加した。
実はホルヘを呼んだのはこの知人の独断で、他の役員から、「なんだ、この若造は」という視線で見られているのを感じた。
役員は都内の小学校教員など少年サッカー関係者が多かったが、名の知れたサッカー界の重鎮も入っていた。
会議で85年大会の問題点となったのが、洗濯物の干場の件。
宿泊施設には洗濯物を干すためにロープを張った干場がある。
しかし48チーム分の洗濯物は非常に多く、干場を確保するための干場争いなどがあったという。
「乾いたら、すぐに取り込んでください」とか「○○チーム用という紙を張って占有するのは禁止です」などと呼びかけても効果はなかったという。
 
 
ホルヘも大会を見学したときに干場も見ている。
二つ折りしてロープに掛けられたユニホームがびっしりと並んでいた。
重鎮の大学教授ら役員がこの問題の解決に悩む中、ホルヘが発言した。
「ロープにユニホームを直接掛けるから場所を取るんです。ハンガーにかけてからロープに吊るせば半分以下のスペースで収まります。夏場だから、それでもすぐ乾きます。各チームにハンガーを持ってこさせればいいのではないでしょうか」。
これで、この問題は一挙に解決。
実に簡単なことで、なぜ役員たちがこれに気が付かなかったのか不思議なほどだ。
しかしこのおかげで正式な役員として任命され、「生活指導委員」という肩書で大会に携わった。
 
 
この大会は現在8人制だが、当時は11人制だった。
すでに役員を辞した92年頃の大会を観に行ったところ、日本協会と契約していたアルゼンチンユース代表の元監督パチャメが来ていた。
彼は、「アルゼンチンには小学生年代の全国大会はない。この年代からこのような大会があるのは素晴らしいことだ」と感激していた。
 
 
アルゼンチンといえば1チーム5~6人で行うバビーフットボールが有名で、小学生もこれがメインで、広いグランドで行う場合も8~9人制が一般的だ。
しかし現在は、プロチームを持つクラブの多くが小学1年生から11人制を採用している。
これはアルゼンチン協会が11人制大会を主導したことによる。
なにか時代に逆行している気もするが、この協会による11人制リーグの発足は94年だという。
ということは、ひょっとするとパチャメの報告により全日本少年サッカー大会を真似たのかもしれない。


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ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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