エルナン・カシアーリというアルゼンチン人作家の、亡き父親との思い出を描いたエッセーが面白かった。
父親は大のサッカー好きで、息子のエルナンはそんな父親と一緒にテレビでサッカーを観るのが好きだった。
テレビをつけてサッカーが流れていれば、それが2部リーグや3部リーグの試合でも、再放送であろうとも構わずに二人で見入っていたという。
父親は、他の家のそれのように息子に「あーしろ、こーしろ」といったことはいわず、サッカーを観てはエルナンにいろいろ教えたという。
曰く、「イタリア系の名前がなければ、2部リーグの試合だ」。
「ソサという名前があればウルグアイ、リンコンがあればコロンビア、クエバスならパラグアイのチームだ」。
「ユニホームとパンツに6色以上使われていれば、コンカカフ(北中米カリブ)の試合で、8色以上ならアフリカの試合だ」。
なるほど、的をえている。カリブ諸国やアフリカのユニホームは何色も使っているものが多い。
さらに、「テレビ中継で、スタンドの向こうに高層ビルや高速道路が映ったら、それは大した試合じゃない」。
これはアメリカや日本を指しているのかもしれない。アルゼンチンからすれば、日本もアメリカも以前はサッカー後進国だった。
「3人の審判がアジア人だったら、金によって組まれた親善試合」。
これは、明らかに日本のことだろう。バブル期からJリーグ創成期にかけて、世界選抜だとかなんだとか、日本では何度もビッグゲームが行われた。
今になって思うと、これらの言葉は教訓だったのだろう、とエルナンはいう。サッカーは、他の事にも通じるものがある。父親は、サッカーをテーマにさまざまなことを息子に伝えようとしていたのだ。
「無観客試合では、スーパーゴールは生まれない」。
これも父親の言葉だが、スタンドが無人で選手のやる気が起きなければ素晴らしいプレーは期待できない、ということ。意欲がなければ成功はおぼつかない、という教訓なのかもしれない。
実はサッカーに詳しくないというエルナンは、44歳の今も頻繁に一人でテレビ観戦している。それはゲームを楽しむというよりも、亡き父親との思い出に浸り、新たな教訓を見つけるためだという。
「有名監督がアジアのチームを率いるのは、奥さんに押し切られたからだ」。
このエルナンの作品は、監督本人は高いレベルのリーグで仕事をしたいが、奥さんが高額オファーに飛びついたということ。日常のあらゆるシーンで、似たようなことはありそうだ。
「6カ国以上で監督をするのはオランダ人」。
ということは、オランダ人は奥さんに弱いのか。
「同じチームに3兄弟がいるのはカリブリーグ。双子がいるのはオランダリーグ。親子でプレーしているのはトルコリーグ」。
トルコには、親子の選手が多いとは知らなかった。
「ゴール後のパフォーマンスが異常に長くてバカバカしいのは、スカンジナビア」。
これは、プレーよりもパフォーマンスを重視する、本末転倒のたとえか。
「PKで、GKの恋人がキッカーの恋人より有名だと、シューとは外れる」。
キッカーの嫉妬心が失敗を生む。眼の前のことに集中せよ。
「サポーターが、選手たちがいくら稼いでいるかをしっているのは、スペインリーグ。選手たちが誰と寝ているかを知っているのはアルゼンチンリーグ」。
金の流れも交際も、誰かが見ている。舛添やファンキー加藤がこれを知っていれば。
「浮気をされた副審は、オフサイドを見逃さない」なんていうのもある。世の中には、変わった観戦法をする人がいるものだ。