アルゼンチンのスタジアムには横断幕がびっしりと掲げられる。
そのほとんどはペーニャ(私設応援団)の名が記されたもので、「我、ここにあり」をアピールしている。
それらに混じって選手個人を応援するものがあり、稀にメッセージ的なものも掲げられる。
先日は、「QUE VUELVAN LOS VISITANTES」と書かれたものを発見した。
「アウェイ(のサポーター)帰ってこい」という意味だ。
 
 
現在アルゼンチンでは、トラブル防止のためにアウェイのサポーターは入場禁止となっている。
アウェイチームが得点を決めると、スタジアムは異様な静寂に包まれる。
がっかりしたホームサポーターによる集団のため息でも聞こえそうだが、それすらなく、自分が今スタジアムにいるのが信じられないほどの静寂となる。
アウェイがゴールを決めたらアウェイサポーターが熱狂するというのが正しい姿であり、サポーター同士がチャントで丁々発止するのがアルゼンチンサッカーの文化でもある。
したがって、アウェイサポーター解禁を願う声は少なくない。
 
 
しかし、運営側がアウェイなしに慣れてしまった。
アウェイサポーターを入れるとなると、ホームとアウェイのサポーター席の間に無人の緩衝地帯を設けなければならない。
これは数列といった程度ではなく、完全な1ブロック。
ホームサポーターだけならここにも観客を入れられるので、その分売り上げが増える。
試合前にアウェイ用のチケット数についてクラブ間で揉めることもない。
アウェイサポーターがいなければトラブル発生の可能性が下がるので、警備費を大幅に減らせる。
このようにアウェイ不在のメリットも多く、それに馴染んだクラブ側は、「このままでいいよ」という感じになっているようだ。
 
 
アルゼンチンで最も有名なメッセージの横断幕といえば、1986年W杯メキシコ大会決勝での、「PERDON BILARDO, GRACIAS」(ごめんビラルド、ありがとう)だ。
これは15メートルほどの大きなもので、ゴール裏の一番前に掲げられていた。
ホルヘが生中継でこの試合を観たとき、NHKのアナウンサーがこの横断幕について語っていたことを覚えている。
 
 
ビラルドは自身の信念により偏った選手選考をしたりW杯予選で苦戦したため、国内で激しいバッシングを受けていた。
本人によると、「W杯前は、(危なくて)道を歩くこともできなかった。娘はいじめられるので転校させ、しかも新しい学校では名字も変えた」そうだ。
だから、「ごめんビラルド、ありがとう」は、それまで彼を叩いていたアルゼンチン人の心に響いた。
 
 
これほど有名な横断幕だが、誰が掲げたものかわからなかった。
しかしあれから30年経った今、当人が新聞の取材に応じた。
これまで一切を秘密にしていたが、当時60歳、現在90歳のホセ・ルイスは、「歴史として語っておくべきだ」という家族の説得を受け入れたのだという。
 
 
彼はプロパンガスの販売会社で働いていた。
日頃から真面目な仕事ぶりの彼に社長が、「アルゼンチンが決勝へ行ったら、試合に連れて行ってやる」と約束。
そして、それが実現した。
元々ビラルドに批判的でなかった彼と社長は、仕事場で例の横断幕を作成。
それを担いでアステカスタジアムへ入った。
 
 
優勝が決まると、社長がホセ・ルイスに、「幕を外してピッチに飛び降りろ。幕をビラルドに渡すんだ」と叫んだという。
しかし60歳の体力では柵を乗り越えられない。
すると別のスタンドからピッチになだれ込んだアルゼンチンサポーターが幕を外し、それをチームの方へ持って行ったという。
ホセ・ルイスは、あの幕はビラルドの手に渡り、彼が持っているのではないかと考えていた。
しかし、ビラルドは持っていないそうだ。
果たしてアルゼンチンサッカー史上最も有名な横断幕は、今、どこにあるのだろうか。
 
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ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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