今回からゴルジャパンさんのブログに参加させていただくことになりました、アルゼンチン在住の藤坂ガルシア千鶴です。
首都のブエノスアイレスで、アルゼンチンを中心とした南米サッカーについてのコラムや記事を書く仕事をしています。
 
 
私がブエノスアイレスに住み着いたのは89年3月、もうかれこれ27年半も前のことになります。
とにかく早く憧れのアルゼンチンに行きたいと、大学も短期課を選び、卒業式の3日後にはブエノスアイレス行きの飛行機に乗りました。
成田を飛び立った時、若かったせいか不安など全く感じず、嬉しさと期待で心臓が張り裂けそうなくらい興奮していたのを覚えています。
 
 
大学在学中からサッカーダイジェスト誌にアルゼンチンサッカーの記事を寄稿していた私は、ブエノスアイレスに到着したら一刻も早くある選手にインタビューして、日本のサッカーファンの皆さんに紹介したいと思っていました。当時ラシンで頭角を現し始めていたネストル・ファブリです。
ファブリはあの頃アルゼンチンで最も注目を浴びていた若手のひとりで、カルロス・ビラルドによってアルゼンチン代表にも召集された「期待の大型リベロ」として雑誌や新聞でも大きく取り上げられていました。
幸運なことに、知り合いを通じてファブリの電話番号を入手した私は、インタビューのアポを取るべく電話をかけることに…と書くと、まるで私がすでにスペイン語を流暢に操っていたのかと思われるでしょうが、とんでもない。
その頃はまだ初級者もいいところで、しかもアルゼンチンでアルゼンチン人相手に電話をすることそのものが初体験でした。
 
 
こちらの一般家庭での夕食時間は大体20時~21時以降と知っていたので、迷惑にならないよう19時頃かけてみることに。
呼び出し音が鳴るのを聞きながらドキドキしていると、間もなく「Hola?」という女性の声が聞こえてきました。
「hola」は英語の「hello」と同じで、「やあ」という挨拶の言葉ですが、南米では電話に出るときの「もしもし」に使う言葉でもあります。
それで私もすかさず「Hola」と返したのですが、なんと女性からもまた「Hola?!」という返事。
しかも今度はちょっと強い口調になってます。
もしかしたらこちらの声が聞こえていないのかもしれないと思い、ちょっと大きい声で「Hola!!」と言うと、向こうはさらに大きな、しかもやや挑戦的な声色で「HOLA??!!」と返してきました。
電話が壊れているのか、回線状態が悪いのか、何らかの理由で聞こえていないに違いない。そう思った私は一旦電話を切って、もう一度かけてみたのですが、また同じ女性と「HOLA!!」の応酬。
このままでは埒が明きません。
 
 
絶対に電話機か回線に問題があるのだろうと思い込んでいた私は、アパートの管理人さんを呼んできてチェックしてもらうことに。
でも、試しに管理人さんの家にもかけてもらったところ何の問題もなし。
そこで私が「Hola、Hola、Holaとやり合ったけど切られた」という意味合いの説明をすると、管理人さんはまるで子どもに話しかけるようにゆっくりと教えてくれました。
「あのね、向こうが『Hola?』と出たら、すぐ『Si, buenas tardes』(はい、こんにちは)と言ってから名乗りなさい」。
言われてみればそのとおり。日本でも「もしもし」と応答されたら「もしもし、○○○というものですが…」と続けるじゃありませんか。
先方の「もしもし」に対して「もしもし」だけで返事をするのがそもそも間違いだったというわけです。
 
 
仕切り直して、もう一度かけてみます。失敗を恐れず、めげることもない20歳。
今思えばたくましい年頃でした。
するとまた同じ女性が「Hola?」と出てきたので、今度は管理人さんに教えられたように名前を言い、恥も外聞もなく自分が「日本から来たジャーナリスト」だと説明し、セニョール・ネストル・ファブリにインタビューをしたいのですが…と伝えました。
すると女性はものすごいスピードで何やらいろいろ話しかけてきます。
意味がわからず一瞬途方に暮れたものの、いくつか断片的に聞き取れる単語があることに気づきました。
「lesión」(怪我)、「rehabilitación」(リハビリ)、「mañana」(明日)、「diez」(10)。
むむ、つまり今ファブリは負傷中でリハビリに行っているので、明日の朝10時に電話をかけろと言っているのではないかしら?
ところが。確認のため、たどたどしいスペイン語で「では明日の朝10時にまた電話します」と言うと、女性は慌てて「No no, veni a las 10 a casa!」(違うわよ、明日10時に家に来てちょうだい!)と言うではありませんか!
意外な展開に驚くやら嬉しいやら、そのあとのやり取りのことは全然覚えていません。
住所を聞いて、翌日そこに出かけると、大きな身体のご婦人が満面の笑顔で私を迎えてくれました。
電話に出てくれたファブリのお母さんです。
 
 
見知らぬ日本人をいきなり家に招くという大胆なお母さんのおかげで、私はファブリに会い、なんと一緒に車に乗せてもらってリハビリに付き添うことに。
そして本来ならリハビリのところでインタビューするはずだったのが、ファブリ自身がそこではゆっくり話せないと判断、帰宅後に家でじっくりインタビューすることに成功。
インタビューが終わるとファブリはどこかに行ってしまったのですが、お母さんと妹がお茶とお菓子を用意して待ってくれていて、しばらく3人でいろんな話をしました。
前日の電話でのやり取りを思い出して大笑いするお母さん、新学期早々テストがあって疲れていると話す高校生の妹。
片言のスペイン語で精一杯会話をしながら、肝心のインタビューそのものよりも楽しいひと時を過ごさせてもらいました。
 
interview1

interview2

interview3
当時サッカーダイジェストに掲載されたインタビュー記事
 
 
 
あれから時が経ち、やがてファブリの甥、つまり当時高校生だった妹の息子がプロサッカー選手となり、ボカ・ジュニオルスとサンパウロでの活躍を経て今期からウェストハム・ユナイテッドでプレーしています。ジョナタン・カレリです。
 
calleri
 
 
残念なことに、以後ファブリのお母さんと再会する機会には恵まれず、いつか会ったらあの時のお礼を言いたいと思い続けていたのですが、昨年1月、カレリを通じてお亡くなりになったことを知りました。
よそから来た人に優しく、細かいことは気にせずにとりあえず受け入れるほど寛容で大らか。27年前にファブリのお母さんから得た印象は、今でも私にとってのアルゼンチン人のイメージとしてそのまま残っています。
これからこのブログでも、そんなアルゼンチン人を始めとする南米の人たちとその文化について、あくまでも主観的に紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願い致します。


About The Author

藤坂ガルシア千鶴

マラドーナとアルゼンチンに憧れ、20歳のときに単身でブエノスアイレスに渡ったが最後、結局そのまま定住。大学在学中からサッカー専門誌にコラムを連載し始め、現在もライター活動を続けている。家族はウルグアイ人フォトグラファーの夫、仕事で中東に在住する長女、そして大学で猛勉強中の次女。映画全般、へヴィメタル、格闘技が大好き。明日はどうなるかわからない国アルゼンチンで、ブルース・リーの名言「水になれ」をモットーに気楽に暮らすアラフィフ世代。

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