富山第一の優勝で幕を閉じた高校選手権。
今大会は初戦から白熱した試合が多く、
非常に盛り上がったことは間違いありませんが、
その中でもやはり決勝の劇的な展開は
多くのサッカーファンを熱くさせたことだと思います。
星稜が2点をリードして迎えた残り4分。
富山第一が執念で1点差に詰め寄ると、
もうアディショナルタイムも尽きようかという土壇場で
富山第一にPKが与えられます。
この誰もが恐れをなしてしまうようなシーンで
ペナルティスポットに立ったのはキャプテンの大塚翔。
ベンチの前で祈るようにそれを見つめるのは大塚一朗監督。
この2人は監督と選手であり、そして父と子でもありました。
2005年から2006年にかけて
アルビレックス新潟シンガポールで指揮を執っていた大塚監督。
当然活動拠点であるシンガポールに彼は住んでいたものの、
家族は語学留学も兼ねてイングランドへ。
次男の翔くんは名門ウエストハムのアカデミーに所属しながら、
地元の小学校へと通うことになりました。
ところが、幼い翔くんを待ち受けていたのは
英語もままならない中でフランス語の授業を受けることになったり、
「オマエは忍者だろ」と言われながら飛び蹴りを食らったりという、
小学生にしては過酷な日々だったとのこと。
それを伝え聞いた大塚監督は、かなり寂しい想いをさせた分、
今度はより一緒にいられる環境をと思い立ち、
自らの母校である富山第一のサッカー部にコーチとして就任。
翔くんも父がチームを指導する同校へと入学することになります。
1年次から技術に秀でていた翔くんは、
すぐさま出場機会を得て活躍。
しかし、絶対的本命として迎えた選手権県予選の決勝で
交替出場した彼のシュートがポストに直撃したことが遠因となり、
チームはまさかの敗退。その時のことを大塚監督は
「掲示板なんかで『親父がコーチだから試合に出ているんだろ』とか、
『親父のコネで試合なんか出やがって』とか、
辛辣な言葉で彼は傷つけられた」と振り返っています。
今年度のチームが始まるにあたって、
部員全員の投票でキャプテン就任が決まった翔くん。
「決まった瞬間は凄くイヤだったけど、
家に帰ったら父さんに『やるしかないだろ』と言われて、
『国立で胴上げしてくれよ』と言われたので、
ポジティブに前向きに捉えていた」とのこと。
それから父と子が監督とキャプテンとして日本一に挑む
最後の1年間がスタートした訳です。
国立競技場、後半アディショナルタイム。
ビハインドは1点。決まれば同点という場面。
「ここで外したらまた掲示板で叩かれるんじゃないか。
何とか今までの努力が報われて欲しい」と父が見つめる中、
氷の冷静さでボールをゴールネットへ突き刺したキャプテン。
このゴールで息を吹き返した富山第一は、
延長後半の決勝ゴールでとうとう日本一に輝きました。
試合後、父でもある監督のことを聞かれて翔くんは
「やりづらさしかないです」と言いながらも、
「親子だから出られるんじゃないかというのは
ずっと言われてきたので、いつか見返してやると。
自分に実力があるんだと思っていました」と正直な気持ちを告白。
日本一という文句の付けようのない結果で、
自らの実力と監督の手腕を証明して見せた彼には
賞賛の言葉をいくら探そうとしても見つからないと思います。
「親と監督という両方の立場で接してくれたので、
本当に感謝しています」と言い切った翔くんと大塚監督が
様々な思いを抱えてきた3年間の最後に待っていた最高のエンディング。
胴上げは父が逃げてしまったために実現しなかったそうですが、
「日本一になる」という約束は、国立競技場という最高の舞台で
見事に現実のものとなりました。