牛込のサッカー小僧が新たなる第一歩を踏み出した夜 土屋 雅史 2014年4月19日 土屋雅史, 日本サッカー 残り時間は4分。 1点のビハインドを追い掛ける国士館大。 キャプテンから左サイドへボールが出ると、この日がデビュー戦となった34番が カットインしながらクロス気味に放り込んだボールは、 高く舞い上がるとそのままゴールネットへ。 その瞬間、思わず私は客席から立ち上がっていました… 2012年11月。 西が丘で行われた壮絶なファイナルに勝利し、 誰もが目指す高校選手権の全国大会へと駒を進めた実践学園。 ある雑誌の特集記事のため、私は高尾にある同校のグラウンドを訪れました。 練習後、5人の注目選手に話を聞いたのですが、 その5人の中に名前を連ねさせてもらったのはその選手でした。 レギュラーというよりはスーパーサブ的な役割を担っていたその選手は、 とにかくドリブルが得意で、一発で流れを変えられるようなジョーカータイプ。 しかも、実際に話を聞くと中学校のサッカー部は部員が2人しかいなかったにも関わらず、 その環境下で懸命に技術を磨いてきたなんてエピソードまで。 経歴の面白さも手伝って、その選手のことは強く印象に残っていました。 チームは国立での開幕戦に勝利したものの、その選手の出場機会はなし。 2回戦では0-0の拮抗した場面で投入されましたが、終了間際に決勝点を奪われ、 彼らの冬は三ツ沢でその幕を閉じました。 その選手は4月から国士舘大に進学。 当然サッカー部に入部するも、周囲とのレベルの差に愕然とする毎日を過ごし、 あれだけ好きだったサッカーなのに練習に行きたくなくなる日もあったそうで、 必死にもがきながら這い上がる時を夢見ていたようです。 1週間前。 何気なく関東大学リーグのメンバー表を眺めていると、 見覚えのある名前が載っていました。 あの選手でした。 試合には出場しなかったものの、堂々のベンチ入り。 背番号は34番。大きい数字が彼の現在の立ち位置を表しています。 とはいえ、苦しんでいた日々を経てとうとうここまで来たかと、 驚きと共に私は心から嬉しくなりました。 水曜日。 国士舘大が駒澤大と激突する三ツ沢陸上に私は向かっていました。 あえて本人とは連絡を取らず、 メンバーに入るかどうかの確証もないままに、 それでも小さくない期待を抱いてスタジアムに向かいました。 会場に到着し、メンバー表を確認するとあの選手はしっかりベンチ入りしていました。 本当に頑張ってきたんでしょうね。 そのメンバー表を見ることができただけでも、 三ツ沢まで来た意味があったなと思えるほど、 私は試合前に満足感を得てしまっていたのです。 試合は駒澤大が得意のフィジカルサッカーで圧倒。 先制を許した国士舘大も何とか追い付きましたが、 再び突き放されると、その後もピンチが続きます。 65分過ぎ、ベンチに国士舘大の控え選手が呼ばれます。 背負った番号は34。 チーム1人目の交替選手として、 その選手は昨年1年間夢見ていたピッチへ解き放たれました。 そして冒頭の場面です。 国士舘大の敗色が濃厚となってきた86分、 左サイドでパスを受けた彼はカットインしながらクロスを中へ。 すると、そのボールは予想外の軌道を描いて、ゴールネットへ到達したのです。 国士舘大の応援団を含むスタンドが一瞬で沸騰したのは言うまでもありません。 あまりにも鮮烈なデビューを果たしたその選手。 試合後に話を聞くと、「クロスボールが入っちゃった感じです。 自分でも良くわからない感じでしたけど、とりあえず嬉しかったです」と満面の笑みを。 それでも「今まではピッチに立つことが目標だったんですけど、 もうピッチには立ったし、ここからはチームに貢献するために やっていかないといけないと思うので、 試合に出たら自分のやるべきことをしっかりやって 勝利に貢献できたらいいと思います」と頼もしい一言も。 2年前に悔し涙を流した三ツ沢球技場のすぐ隣にある三ツ沢陸上競技場で その選手は新たなる第一歩を踏み出しました。 こんなことがあるんだなあと。 正直、試合に出るかどうかもわからなかったのに、 デビューを果たした上にゴールまで決めちゃうとは! やっぱりサッカーというのは何があるかわからないし、 選手たちが何を起こしてくれるのかは想像もつかないですね。 改めてその事実を私は彼に教えてもらいました。 自分もさらなる真摯な気持ちで サッカーと向き合っていこうと再確認できた素晴らしい夜でした。 写真はその夜の三ツ沢陸上競技場です。 Tweet