7月9日はアルゼンチンの独立記念日だった。
1810年の5月25日に革命が決議され、スペイン軍との戦いの末、1816年の7月9日に独立が宣言された。
というわけで、この両日は数ある祭日の中でとても重要なものとなっている。
ブエノスアイレス市の目抜き通りヌエベ・デ・フリオも独立記念日から名づけられた。
ヌエベが9でフリオが7月だ。事実がどうかは知らないが、世界で最も広い道路だとアルゼンチン人は自慢している。
道幅は120メートル以上あってたしかに広いが、これは3本の道路によるもの。
ヌエベ・デ・フリオから緑地帯を挟んだ側道に当たる部分には別の名称がある。
しかし側道を含めてヌエベ・デ・フリオとし、世界1だと言っている。
これだけ道幅が広いと1回の信号では渡れず、中央分離帯というか緑地帯で待つことになる。
この緑地帯も約15メートルと広い。側道、緑地帯、ヌエベ・デ・フリオ上り、緑地帯、ヌエベ・デ・フリオ下り、
緑地帯、側道というように、道路と緑地帯が層になっている。
幹線道路としても重要で、側道には多くの路線バスが通り、これが渋滞の元になっている。
停留所が約200メートルごとにあることも影響し、ラッシュ時には遅々として進まない。
そこで、元ボカの会長だったマクリ市長が、バス専用レーンを造ることにした。
それも、単に現在ある車線を専用レーンに切り替えるのではなく、ヌエベ・デ・フリオの上りと下りの間の緑地帯を潰して、
新たに造るというもの。そして、停留所は約400メートル間隔にするという。
同様のことは、ベレスのスタジアムの前を通るフアン・ベ・デ・フストですでに行われ、
路線バスでの通勤時間が大幅に短縮されるという成果を残した。
しかし、この計画に反対の者もいた。
工事に着工後、緑地を潰し自然を破壊するのは許せない、と訴えたグループがあった。
これで一時工事は中断された。このグループは大統領支持派。
大統領とマクリは政敵で、様々な場面でやりあっている。
この反対運動も、マクリへの嫌がらせにすぎない。
結局工事は再開され、現在はいくつかの停留所が設置されるなど、見慣れたヌエベ・デ・フリオが少しずつ姿を変えている。