ボリビアのサッカーと聞いてピンとくる人は少ないだろう。
最後にW杯に出場したのは1994年のアメリカ大会。今から20年以上も前の話だ。
それ以前にも30年の第1回大会(ウルグアイ)と50年のブラジル大会に参加しているが、30年大会は予選なしの招待出場で、50年大会はアルゼンチンが辞退したための繰り上げだった。
しかも50年大会では、ウルグアイに0-8の大敗を喫した1試合だけで帰国している。
 
 
しかし94年大会は堂々と予選を突破しての出場。
当時は南米全10か国の総当たりではなく5か国ずつ2グループに分けて行われたが、ブラジルに2-0、ウルグアイに3-1を含めホームは全勝で、トータル8戦5勝1分け2敗だった。
このとき、日本はまだW杯出場を果たしていない。
日本に住んでいたホルヘの知り合いのボリビア人は、「日本は経済やテクノロジーなど多くのことでボリビアより上だけど、サッカーでは俺たちが勝っている」と自慢していた。
 
 
メンバーには“ディアブロ”エチェベリや”プラティニ“サンチェスといったワールドクラスのタレントが揃っていた。
W杯本番では、開幕戦で前回王者のドイツと対戦。
故障明けで途中出場のエチェベリがいきなりレッドカードをもらうなどの不運もあり、本領を発揮できぬままグループリーグ敗退となった。
しかし得体の知れぬ魅力がある、記憶に残るチームだった。
ちなみに監督のアスカルゴルタと攻撃の主力バルディビエソは、後に横浜マリノスで活躍した。
 
 
この時以降W杯から遠ざかっているボリビアは、ロシアへの道を切り開くためバルディビエソに監督を託した。
選手の気迫が足りないと感じていた彼は、国同士の戦いは命がけであることを学ばせるため、なんと選手を軍の施設に送り込み軍事教練を行わせた。
 
 
最近南米では、「サッカーはゲームであり戦争ではない」という言葉が頻繁に使われる。
過去に戦争や紛争を起こした国同士は、いまだに敵対感情が残っている。
常にライバル意識をもち、ヘイト的な言葉が普通に使われる。
そうした国同士の試合ではサポーターが過熱し、下手をすると暴動に発展して死傷者を出すこともある。
そこで、「サッカーは戦争でない」というフレーズが過熱防止の標語のようになったのだ。
それなのに選手に軍事教練させるとは、バルディビエソはまったく逆のことを行っていた。
 
 
そこまでやっても結果には結びつかず、バルディビエソは途中で退任。
そして、あろうことか協会までがチョンボをして代表の足を引っ張った。
昨年9月に行われたペルーとチリ相手の2連戦は、ホームでペルーを2-0で下し、アウェイのチリ戦はドローという見事な成績。
しかしその後、資格のない選手を起用したことが発覚した。
 
 
その選手はパラグアイ人でボリビアに帰化したDFのカブレラ。
ボリビアの法律では彼がボリビア人であることは間違いないのだが、FIFAの規定である「その国に5年間定住」という条件を満たしていなかった。
帰化の判断は各国が独自に行うもので、W杯や五輪のメダルや出場を目的に外国人選手を積極的に帰化させる国もある。
その不公平性を是正するため、各競技団体がルールを設けている。
カンボジアに帰化した猫ひろしがロンドン五輪に出られなかったのも、世界陸連の条件をクリアできなかったからだ。
 
 
この件でFIFAが下した裁定は、2試合とも0-3でボリビアの負けというもの。
これでとばっちりを食ったのがアルゼンチン。
この時点で予選突破ラインの4位にいたが、5位だったチリの勝ち点が2点増えて逆転され、プレーオフゾーンに落ちてしまった。
ボリビアはこれを不服としてスポーツ仲裁裁判所に提訴。
その根拠は、単純な確認ミスであったことと、カブレラが重要な選手でないというもの。
事実彼はベンチスタートで、ペルー戦では82分、チリ戦では77分からの出場。
ポジションもDFであり、試合の流れを変えるための起用でないことも明らかだ。
 
 
ちゃっかりとアルゼンチンも支援したこの提訴の結果は、ボリビアの敗訴。
そしてその直後の8月31日と9月5日に予選が行われた。
31日、4位以内を目指すアルゼンチンは、アウェイでウルグアイとラプラタ河クラシコに挑み0-0で終了。
4位のチリはホームでパラグアイに0-3に完敗。
15年と16年のコパ・アメリカを制し南米王者のチリだが、まるで下降期に入ったかのように精彩を欠いている。
 
 
これでチリとアルゼンチンは勝ち点で並び得失点差で辛うじてチリが4位。
そして5日、先に試合を行ったチリは、アウェイでボリビアに0-1で敗れた。
FIFAとスポーツ仲裁裁判所へのうっ憤を晴らすべく、ボリビアは因縁のチリに戦争のように立ち向かった。
これでアルゼンチンの4位浮上は確実、とだれもが思った。
なにしろ相手は最下位のベネズエラで、しかもホームゲーム。
ところが猛攻を繰り返すもゴールを奪えず、逆にカウンターから50分に失点を許してしまう。
そして相手のオウンゴールで辛うじて引き分けた。
 
 
引き分けで勝ち点1を得たアルゼンチンはチリを上回ったものの、2連勝したペルーが4位に浮上。
アルゼンチンは相変わらず5位にとどまっている。
90年イタリア大会で準優勝したが、94年はオーストラリアとのプレーオフを経験。
今回もブラジルW杯準優勝の後の大苦戦。
このまま行けば、「準優勝の後はプレーオフ」というジンクスができることになる。
 


About The Author

ホルヘ三村

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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