7月13日にオルテガの引退試合が行われた。
フランチェスコリやソリンなども参加したアミーゴ・デ・オルテガチームがリーベルと対戦した。
ホルヘは行かなかったが、会場のリーベルスタジアムには6万人以上が集まった。
全盛期をイタリアのジェノバなどで過ごしたが、現地での評価はそれほど高くなく、
日本でも「オルテガはボールを持ちすぎる」「ひとりでプレーしている」などの批判が聞かれた。
しかし彼は、アルゼンチンでは非常に好かれた選手だった。
お国柄にあっているとでもいうのだろうか。
たしかに彼はドリブルが多い。それでチャンスを潰すこともあった。
しかしそのスタイルが、アルゼンチン的なのだ。
アルゼンチンではトップ下をエンガンチェと呼び、そこは花形選手のポジション。
ところが最近はサッカースタイルの変化により、昔ながらのエンガンチェは姿を消している。
したがって、彼が最後の伝統的なエンガンチェだったともいえる。
おまけに酒好きで、練習を二日酔いですっぽかしたり、自動車事故を起こしたりとトラブルも起こす。
それがマラドーナのように傲慢や不遜の故でなく、間抜けさから来るので人間的にも愛されている。
韓日W杯のアルゼンチン代表は、本大会では早々と姿を消した。
これは3バックの中心にしてかけがえのない存在だったアヤラが、初戦のアップ中に故障し、
1試合にも出られなかったことが大きい。
それにより相手のカウンターに対し3バックがコントロールできずに失点を喫した。
しかしこのチーム、南米予選では圧倒的な強さを誇り、本大会の優勝候補でもあった。
監督はビエルサで、非常に高度な戦術を用いていた。
ほぼ全員がヨーロッパ組で代表が集まっての練習時間は少なく、その中で戦術を身につけさせるのは難しい。
そこでビエルサは、ユースの選手に動きを完璧に覚えさせ、代表合宿に彼らを呼びプレーさせた。
代表選手はそれを見て、あるいはピッチに入って後を追いながら動き方を覚えた。
それほど緻密に作られたチームだったが、ビエルサはオルテガには自由にプレーさせた。
前線のリベロという感じで放し飼い。
オルテガは、規則よりも感性に従ってプレーすることで結果を残す。
ビエルサはあえて彼を飼いならさず、野生のまま用いたのだ。
そしてオルテガは、切り込み隊長として期待に応えた。
アルゼンチンスタイルを貫いた彼の引退により、ひとつの時代に幕が下りたような気がする。