前回は、エクアドルのタクシーで特急誘拐されると思い込んで
ビビった話を書いたが、その後ベネズエラでも似たような目に会った。
2007年のコパ・アメリカでのことだった。
産油国のベネズエラはガソリンが1リットル約5円とべらぼうに安いため、
燃費が非常に悪い数十年前の大型アメ車が現役で走っている。
これらのアメ車は助手席に2名、後部座席に4名座ることができるので、
乗り合いタクシーに利用されていることが多い。
マトゥリンという街で夜の試合を取材し、帰りのタクシーを探していた。
すると幸運にも、すぐにポンコツの大型タクシーがやって来た。
助手席には男性が1名乗っているだけで、まだ空席がある。
乗り合いタクシーを利用するときは、まず運転手に目的地を告げる。
それが他の客と逆方向だと乗車を断られる。
目的地であるホテルの名前を告げると、「乗れ」と運転手がいう。
帰りの足を確保できてホッとした。
スタジアム周辺は人と車で混雑しており、遅々として進まない。
また、他に乗ってくる客もいない。
この大会のために造られたスタジアムは郊外にあり、街へ繋がる幹線道路は大渋滞になっていた。
助手席の男はラムをラッパ飲みし、すでに酔っ払っている。
窓越しに女の子をからかったり、渋滞に対して怒鳴ったりと喧しい。
突然運転手が、「これじゃダメだ、逆側から行く」と言い出した。
街とは逆方向に走り、遠回りをして渋滞を避けるらしい。
ホルヘも、その意見に賛成した。
周囲は人と車でギチギチだが、歩道に乗り上げ、歩道を走行し、
止めに入った警官に暴言を吐きながら強引にUターンに成功。
滅茶苦茶な運転手だ。
さすがに逆方向は空いており、タクシーはスイスイ走る。
そのうち、運転手が助手席の男からラムのビンを受け取り、運転しながら呑み始めた。
両者の様子から、助手席の男は客でなく、運転手の友達であることが分かった。
これはまずい。南米では、強盗除けのために助手席に知り合いを乗せているケースがあるが、
そうしたタクシーには乗るな、というのが鉄則。
2人がかりで特急誘拐を企てる恐れがあるからだ。
うかつにも、乗り合いタクシーだと思い乗ってしまった。
やがてタクシーは街灯もない真っ暗な山道に入った。
これはもう間違いない。特急誘拐だ。
そこでホルヘは、カーブで速度が落ちたところで飛び降りて逃げる決心をした。
カメラバッグは2個。
大きい方には400mmの望遠レンズとカメラ1台にストロボなどが入っており、かなり重い。
小さい方はカメラ1台とズームレンズ。
大きい方はあきらめて、小さいバッグだけを持って逃げることにした。
ただ、小さいバッグも途中で捨てることになるかもしれない。
そこで、せめて撮影した写真だけは残そうと、2人に気づかれないよう
2台のカメラからメモリーカードを抜き取った。
後は飛び降りるだけなのだが、これがなかなか難しい。
減速しても、時速30km以下にはならないようだ。
実はホルヘ、高所恐怖症のうえスピード恐怖症。
ジェットコースターなどには絶対乗れないし、助手席に乗っていても、
スピードを出されると心臓がドキドキしてしまう。
「臆病者。下手したら殺されるぞ。飛び降りろ」と自分の中の小さなホルヘが叱咤するが、
どうしてもドアを開けられない。
自分との葛藤を何度も繰り返していると、はるか前方がうっすらと明るくなった。
「あれがマトゥリンの街だ。あと10分くらいだな」と運転手。
特急誘拐ではなかったのだ。
警戒心が解けたのでいろいろ話をすると、運転手はいつも乗り合いタクシーをしているが、
その日は友達と試合を観に行き、酒も呑んだので何人もの乗客を送り届けるのが面倒なので、
帰りがけの駄賃に1人だけ乗せることにしたのだという。
このときほど、スピード恐怖症でよかったと思ったことはない。