前回の話は、アルゼンチンからシドニー経由で帰国するための準備についてだった。
その際には書かなかったが、シドニーのホテル予約やオーストラリアのビザ取得も行い、
出発の前々日までに手続き関係はすべて終了。
前日にすることはお土産購入と荷造りだけ。
お土産といっても毎年のことなので、観光土産的なもののネタは尽きた。
最近は、「アルゼンチンのマヨネーズだよ」と、普通のスーパーで売られているものを渡し、
日本のものと比べることを楽しんでもらっている。
もっとも、もらった人がそれを喜んでいるかどうかは、ホルヘの関与するところではない。
気は心というやつだ。
出発日は朝5時に家を出るので、荷造りを終えてから酒をあおって早めに寝ることにした。
酒のお代わりを作ろうと立ち上がった時、右足の甲に軽い痛みが走った。
甲の内部にある、小指の骨と薬指の骨が合流するあたりだ。
手で足の親指側と小指側を挟んでギュッと力を入れると、痛みはよりハッキリする。
そういえば、荷造り中にも多少の違和感があった。
この痛みは、疲労骨折とか、走っていて小指側で小石をを踏んだようなときに起こるものに似ている。
しかし、そのようなことは身に覚えがない。
原因不明だが、「ほっとけば治るだろう」と判断して酒を吞み続けた。
11時にベッドに入って寝ようとすると痛みが強くなり、脈拍に合わせてズキズキするようになった。
ここに至って、尋常ではないことに気がついた。
「これは、痛風ではないのか?」。
ホルヘは、痛風や尿路結石の原因となる尿酸の値が高い。
20歳そこそこのとき、3か月で2度の尿路結石になった。
そして医者に、「歳を取ったら、痛風になるよ」と脅されていた。
痛風は一般的に、足の親指に出る。
しかしヒザやその他の関節が患部となることもある。
数年前、アルゼンチンでヒザがひどく痛くなり、医者にかかった。
自分では、1週間ほど前にサッカーで痛めたものが悪化したのだろう、と考えていた。
MRI検査では異常なし。もっとも、MRIの予約日が来たときには完治していたので、異常がないのも当然といえる。
血液検査で尿酸値が高かったことから、ドクターは痛風と診断。
しかしホルヘは納得せず、あくまで負傷だと思っていた。
あれが本当に痛風だったなら、今回もその可能性が高い。
痛風は「暴君の病気」と呼ばれ、激痛を伴うことで知られている。
ひどい場合は、地に足を着くことも、靴下をはくこともできないという。
当然、歩くことも不可能。
そんなことになったら大変だ。帰れなくなる。
そこで、以前のコラム(あと少しでキス)に書いたのと同じように保冷剤で患部を冷やすことにした。
ろくに眠れぬまま、保冷剤を4回替えて起床時間の4時を迎えた。
冷やした効果であろうか、恐れていたような悪化はない。
右足の接地をカカトだけにすれば、歩いても大した痛みはない。
これなら、なんとかなりそうだ。
今回の出発空港は、いつものエセイサ国際空港ではなく、市内にあるアエロパルケ。
ここは国内線がメインの空港。ビジネスで利用しやすいように、国内線の朝の便は多い。
そして修学旅行生らの姿も多く、空港ロビーは人で溢れていた。
ここのチェックインカウンターは国内線と国際線共通なので、長い列に1時間も並ぶことになった。
立ちっ放しのため血液が足に溜まり、靴の中で患部が徐々に腫れていくのがわかる。
やっと順番が来たものの、LAN航空の受付嬢が少し間抜けで、オーストラリアのビザの件でちょっとトラブル。
さらに同じワンワールドなのでJALのマイレージカードを渡すと、「そんな会社は同じグループにいない」という。
「そんなことはない。よく調べて」といったが、返事は同じ。
昨年、エセイサ空港発のLAN航空に乗ったときは、すんなりJALカードで手続してくれた。
しかし、ほぼ国内線専用のアエロパルケの従業員は、こうしたことに無知らしい。
とにかく足が痛くて早く座りたかったので、マイル清算は後日行うことにして引き下がった。
そこからチリのサンティアゴまで2時間半、そしてシドニーまで14時間のフライト。
立っているよりはるかにましだが、長い間座っていても血液は足に溜まるので患部は腫れ続ける。
はじめはピンポイントの痛みだったが、足首から先全体がジンジン痛むようになる。
ホテルにチェックインするやいなや、バスタブに冷水を張って足を冷やす。
さすがに酒を吞む気も起らず、クリスマス直前の週末で賑わっている街に出ることもなく就寝した。