ラシンといえばアルゼンチン5大クラブのひとつ。
ブエノスアイレス市に隣接するアベジャネーダ市の中心部にスタジアムを構えている。
直線距離にして200メートルもないようなところにインデペンディエンテのスタジアムがあり、この両者の対決がアベジャネーダクラシコ。
ビッグクラブがこれほど隣接している場所は、世界中を探してもここだけだろう。
 
 
最寄り駅は、ブエノスアイレス市内のコンスティトゥシオン駅から一つ目(線によっては二つ目)のダリオ・サンティジャン イ マキシミリアーノ・コステーキという二人の名前を合わせた長い名前の駅。
21歳と22歳だった彼らは、2002年のデモに参加した際に駅で警官に射殺された。
元の名前はアベジャネーダ駅だったが、この悲劇を忘れぬためにと2013年に改名された。
しかし、今でもアベジャネーダ駅と呼ぶのが一般的だ。
 
 
このラシンの自慢は、アルゼンチンのクラブとして初めて世界一になったこと。
1967年のインターコンチネンタルカップを制して栄冠を手中にしたのだ。
同大会の優勝はこの一度きりだし、国内大会の成績もプロ化以前の7連覇以外は目立ったものはない。
しかし、世の中は早い者勝ち。”アルゼンチン初の世界王者“の称号は未来永劫のもので、常にサポーターたちの誇りとなっている。
 
 
そんなラシンについて先頃、「ジョン・レノンはラシンのファンだった?」という記事が新聞に載った。
ビートルズ時代の若かりしジョン・レノンのインタビュー映像に、下記のようなものがあったというのだ。

 記者:サッカーに興味ある?
 ジョン:ない、全然ない。あ、待って。セルティックと戦ったのどこだっけ?ラシン?それ、ラシンが好きだ。ラシン万歳。俺はラシンファン。
 
 
現在このビデオがどこにあるのか、存在するのかは不明だが、ビートルズ研究家などがこれを観たことを記憶している。
また、ジョン・レノンがいうところのセルティック戦で決勝ゴールを決めたカルデナスも、後年、「俺のゴールにはジョン・レノンも熱狂したんだ」と語っている。
カルデナスがこの情報をどのようにして知ったかは不明ながら、ジョン・レノン=ラシンファン説の裏付けになる。
 
 
今や伝説と化したスーパースターのジョン・レノンがファンだったというのは、ラシンファンにとってまた一つの勲章となる。
しかし、ジョン・レノンとしてはどうだろう。
 
 
セルティック戦というのは、インターコンチネンタルカップでのこと。
当時はホーム&アウェイ方式で、1勝1敗のあと中立地のウルグアイで行われた第3戦を1-0でものにしたラシンが優勝を決めた。
セルティックはスコットランドのクラブ。
イングランドの人間はスコットランドに強烈な対抗心、というか見下す意識が強く、それゆえスコットランドが負けることを願って相手チームを応援する。
それが文化といってしまえばそれまでだが、差別やヘイトに近いものがある。
 
 
ジョン・レノンといえば平和主義というイメージだ。
その彼が、本来はサッカーが好きでもないのに、スコットランド憎しというだけでラシンを応援するのは、”イマジン”の精神に反している。
今頃になってこんなことが暴かれたジョン・レノンは、草葉の陰でさぞ戸惑っていることだろう。
 
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About The Author

ホルヘ三村

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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