前回書いたヌエベ・デ・フリオ大通りは、デモ行進やピケ(道路封鎖)が頻繁に行われる。
都心の幹線道路がデモ隊で埋め尽くされたり封鎖されると、一般市民への影響は計り知れない。
政府や世間に何かを訴えようとする団体は、市民に迷惑をかけることで注目を集めようとする。
それも国民の権利とかで、警察も傍観していることが多い。
 
 
しかし、昨日は珍しく警察が動いた。
ヌエベ・デ・フリオで古タイヤを燃やし、バスレーンまで封鎖したピケ隊に襲い掛かり、数名を逮捕した。
その模様をテレビで観たが、オートバイ警官の後ろに別の警官が立ち乗りし、そこからゴム弾や催涙弾を発射していた。
 
 
日本のオートバイ警官は交通課の仕事だけだが、こちらでは暴徒鎮圧にも射撃手の足として参加している。
以前ウルグアイで遭遇したのは、オフロードタイプのオートバイ部隊。
フェリー乗り場でサッカー観戦帰りの団体が騒いでいると、建物の中まで彼らがやってきて暴徒たちを追い回した。
オフロードバイクなので階段も上っていき、追いつけば警棒で打ちのめす。
 
 
日本の白バイとは大違いだが、これは騎馬警官から派生したものと思われる。
騎馬警官は今でもおり、サッカーの警備では必ず登場する。
ただの飾りではなく、事が起きれば暴徒を追いかけて制圧する。
捕えた輩を、応援の警官が来るまで、馬体と壁の間に挟んで身動きできないようにするなど、騎馬警官の能力は非常に高い。
そうした流れから、馬の代わりにオートバイを使って同様のことをするようになったのだろう。
 
 
さてヌエベ・デ・フリオと直角に交わる道に、コリエンテス大通りというのがある。
ここには劇場が多く、アルゼンチンが華やかなりしときは、「眠らない通り」などと呼ばれていたらしい。
 
 
そしてヌエベ・デ・フリオとコリエンテスの交差点にそびえ立つのがオベリスコだ。
ここはブエノスアイレスのランドマーク中のランドマーク。
何かあればここに人が集まる。
先日、ボカが国内リーグ戦に優勝した時も、オベリスコ周辺が黄色と青に埋め尽くされた。
 

 
 
ここはホルヘの家から徒歩20分弱で、頻繁に通る場所。
しかし、全然気づかなかったことがあった。
雑誌の記事を読んでいると、オベリスコからビルの上に建っている三角屋根の家が見えるというのだ。
貧しい移民の子がコツコツ働いて家具屋を創業し、店舗が入っているビルの屋上に「チャレー」と呼ばれる海辺の別荘タイプの家を建てたのだという。
時は1927年のこと。
 
 
当時はシエスタ(昼寝)の習慣があり、昼食を食べに家に戻り、昼寝をしてまた夕方に仕事場へ向かうのが普通だった。
この家主の家は郊外だったためそこに戻るのが大変だと、昼寝のためにこの家を建てたのだそうだ。
その後、ビルの屋上という立地の良さを活かし、ラジオ局を開局したという。
 
 
現在は周りの景色に埋もれて目立たないが、当時はまだヌエベ・デ・フリオもオベリスコもなかった。
さぞやオレンジの三角屋根は人々の注目を集めたことだろう。
 


About The Author

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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