オンセカルダスの思いで ホルヘ三村 2017年7月21日 コロンビア, ホルヘ・ミム〜ラ 以前はワールドサッカーグラフィックという雑誌の仕事で、10月頃になると、南米代表としてトヨタカップに出場するクラブの取材をしていた。 そんな中でも思い出深いのは、2004年に行ったコロンビアのオンセカルダスだ。 このクラブはマニサレスという地方の小都市がホームで、規模もそれまでの成績も中堅以下といったところだった。 コロンビアでコパ・リベルタドーレスを制したのは、その時点では1989年のアトレティコ・ナシオナルのみ。 そうした状況で、オンセカルダスが決勝でボカをPK戦で下して優勝した。 マニサレスでの決勝第2レグにも行ったが、”エル・オンブレ・アラーニャ(スパイダーマン)“の異名を持つ小柄なGKエナオが、PKを2本止めてヒーローとなった。 南米王者の座は、いつもブラジルかアルゼンチンと相場が決まっている。 それをコロンビアのクラブが制したということで、国を挙げてこの偉業を喜び合っていた。 アルゼンチンやブラジルなどの強国では国際大会においてもクラブ間のライバル意識が激しく、ライバルチームが負けることを常に願っている。 自国のクラブが南米王者または世界王者になることを誇りに思うというナショナリズムより、”自分のクラブ“を愛する思いのほうがはるかに強いのだ。 たとえば、アルゼンチンのリーベルとブラジルのパルメイラスが戦うとなると、ボカのサポーターはパルメイラスを応援する。 以前はそういう試合になると、半分がボカ、半分がパルメイラスというユニホームが売り出されていた。 ボカのサポーターはそれを着て、リーベルのスタジアムでパルメイラスを応援したのだ。 オンセカルダスは国内でも中堅クラスなのでビッグクラブのサポーターからの嫌がらせもなく、いうならば挙国体制で応援されていた。 ホルヘもそうした状態を目の当たりにしたことがなかったので、とてもほのぼのとした気持ちになった。 オンセカルダスをさらに好きになったのは、トヨタカップのプレビュー取材で訪れた時だ。 南米王者といえ、田舎の小クラブなので非常に純朴。 首都ボゴタからの便で、偶然、監督のモントージャと一緒になった。 マニサレスの天候が悪く、別の空港に降りて待機しているときあいさつに行くと、「これからチームのミーティングがあるので、そこに来て選手たちに日本のことをいろいろとレクチャーしてくれ」と頼まれた。 結局天候が回復せず、バスでマニサレスまで行くことになったのでミーティングには間に合わなかったが、監督の気さくな人柄がうかがえた。 しかし彼はトヨタカップ後、強盗に遭遇して2発撃たれ、一命はとりとめたものの全身麻痺になってしまった。 練習はスタジアムの他に、山を越えた遠くのグラウンドでも行うが、そこへ行くときはクラブのバスに同乗させてもらったし、練習後には食事までごちそうになった。 とにかくスタッフ、選手、フロントと全員が親切で好意的。 特に若手の選手らはホルヘになついてくるほどで、その中の一人モレーノは、後にメキシコリーグで得点王となりコロンビア代表にも選ばれた。 とにかく、これほど楽しく充実した取材は後にも先のもなかった。 とはいえ13年も前のことなので思い出すこともほとんどなかったのだが、数日前にショッキングなニュースがあり、それがオンセカルダスとつながった。 ホルヘが取材したとき、攻撃の中心選手にファッブロというアルゼンチン人がいた(集合写真後列右側で子供を抱いている)。 PK戦となったポルト相手のトヨタカップでは、「これを入れれば優勝」というPKをポストに阻まれた選手だ。 彼ともプレビュー取材でそこそこ親しくなり、トヨタカップの際には、「帰りの荷物が増えたから大きなスーツケースが欲しい」といわれ、一緒に買いに行ったことがある。 彼はその後、メキシコ、ブラジル、チリ、パラグアイなどのクラブを渡り歩き、パラグアイのグアラニーとセロポルテーニョでは素晴らしい活躍をし、帰化してパラグアイ代表になった。 そのファッブロが、幼女への性的虐待で告発されたというニュースが流れた。 カトリック系の国では、パドリーノ(名付け親、代父)という制度がある。 映画のゴッドファーザーのスペイン語題は、エル・パドリーノ。 親しい人の子供の名を付けたり、もしその子の親に何かあった場合が、父親代わりとなって養育する。 ようするに後見人のようなものだ。 ファッブロは、現在11歳である親戚の娘のパドリーノだが、何とこの娘に性的虐待を行ったという。 娘が母親へ訴えた生々しい証言も報じられており、どうやら事実のようだ。 虐待はアルゼンチンで行われており、彼はすでに国を出たらしい。 ホルヘにとってショッキングなニュースだったが、そのおかげでマニサレスでの楽しい日々を思い出すことができた。 Tweet