ホルヘ・ウィルステルマンとホルヘのバルセ ホルヘ三村 2017年9月29日 アルゼンチン, ホルヘ・ミム〜ラ, ボリビア コパ・リベルタドーレスの準々決勝。 前々回覇者のリーベルは、ボリビアのホルヘ・ウィルステルマンと対戦した。 日本では全く知られていないホルヘ・ウィルステルマンだがボリビアでは名門クラブのひとつで、リーグ優勝13回はボリーバル、ザ・ストロンゲストに次ぐ第3位だ。 ホームはこれまたラパス、サンタクルスに次ぐ第3位の都市コチャバンバ。 ヘンテコなクラブ名は人の名前。 元々はLAB(Lloyd Aereo Boliviano)という航空会社が母体のクラブで名称もCulb Deportivo LABだったが、創立4年目に、ボリビア初の民間パイロットであるホルヘ・ウィルステルマンの栄誉をたたえるため、その名を冠するようになった。 第1戦の会場はコチャバンバ。 ラパスの3600メートルほどではないが、ここも標高2500メートルの高地。 薄い酸素に苦しみ動きの悪いリーベルは、なんと0-3の惨敗を喫してしまった。 この点差は大きい。 ウィルステルマンは第2戦で守備をガチガチに固めるはずなので、実力で上回るリーベルも逆転は至難の業。 ボリビアのクラブが同大会の準決勝に進出したのは、2014年のボリーバルのみ。 ウィルステルマンが2番目のクラブになることをサポーターは確信していた。 しかし、第2戦はリーベルが8-0という驚異のスコアで一蹴。 ウィルステルマンは天国から地獄、とんだ赤っ恥をかいた。 八百長ではないかとの憶測まで流れ、会長が打ち消しに躍起になるほどだった。 準々決勝その他の試合は、グレミオ(ブラジル)がボタフォゴを(同)を0-0,1-0で退け、ラヌース(アルゼンチン)はサンロレンソ(同)に0-2,2-0からPK勝ち、バルセロナ(エクアドル)はサントス(ブラジル)を1-1,1-0で下した。 この結果、準決勝のカードはリーベル対ラヌースのアルゼンチン対決と、グレミオ対バルセロナとなった。 ホルヘが贔屓のバルセロナがベスト4になったので、これは嬉しい。 ホームのグアヤキルがカタルーニャと関係が深かったことや、創立メンバーにバルセロナ出身者が多かったことから名づけられた”分家”バルセロナ。 エンブレムまで本家と同じ。 しかし分家の正式名称はBarcelona Sporting Clubなので、エンブレム内のアルファベットは、本家がFCBなのに対してBSCだ。 本家がエスパニョールとの地元クラシコ、レアル・マドリッドとのナシオナル・クラシコを抱えるように、分家も地元グアヤキルではエメレックがライバルで、首都キトのリーガ・デ・キト(LDUキト)との一戦がナシオナル・クラシコとなる。 そのライバルであるリーガ・デ・キトは2008年にエクアドル勢で初めてコパ・リベルタドーレスを制覇。 バルセロナは1990年と98年に決勝まで進んだものの一歩及ばなかった。 98年の準決勝、決勝を取材したホルヘは、そのときバルセ(略称はバルサでなくバルセとなる)が着用していた、Yシャツのような前開きのユニホームが大いに気に入り、自分のチーム用に20着購入した。 会長のセバージョスは元エクアドル代表GK。 08年はリーガ・デ・キトの守護神として、フルミネンセ相手の決勝でPK戦勝利の立役者となった。 彼とは93年にエクアドル代表がキリンカップに参加する際に初めて会った。 それ以来何度か顔を合わせ、バルセの練習を取材したときは、彼の自動車で送ってもらったこともある(写真は、たぶんそのときのもの)。 とにかく、ナイスガイなのだ。 08年のクラブW杯公式プログラムの制作に携わったときは、リーガ・デ・キトの中心選手として彼のインタビューを掲載した。 元々バルセファンなのに、セバージョスが会長になったのだから、さらに応援したくなる。 もし優勝すれば、クラブW杯で分家がレアルと戦うことになるかもしれない。 このクラシコモドキを、是非観たいものだ。 Tweet