出された料理にいきなりソースや塩、醤油をかけるのは、作った人に失礼だ、という声がある。
まずはオリジナルの味を口にするのが礼儀であり、何かをかけるのはそのあとにすべきという意見だ。
しかし味見をしてから調味料を加えるのは、「料理が不味い」といっているようなもので、かえって失礼なような気がする。
 
 
たしかに、料理が食べる人の味覚と好みに完璧にあっていれば、何も入れる必要はない。
途中で味変をする人もいるが、最初から加えるのではないので冒頭の批判は当たらない。
しかし、味覚と好みは千差万別なのだ。
そして長く生きていれば、自分の好みが世間一般とどのように違うかを自覚している。
レストランは一般受けする味を提供するので、食べる前から自分の好みには足りないことがわかる。
 
 
辛党なら、胡椒や七味、ラー油、タバスコを迷わず振りかける。
塩分はちょうどいい塩焼の魚や糠漬けに、「どうしてもこの香りがほしい」と醤油をかけるショーラーもいる。
浅野ゆう子がそうだったと思うが、ラーメンに必ず酢を入れるという人もいる。
酢入りのラーメンを定番で出す店などまずないのだから、当然初めから投入する。
浅野ゆう子が食べたいのは、ラーメンでなく酢ラーメンなのだ。
これでも作り手に失礼なのだろうか。
 
 
「私は辛いのが好きだから」とか、「醤油中毒なもので」とか、「お酢入りが好みなので」と断わるのがいい方法だと思うが、忙しい店では料理人や店員にそんなこといっている暇もあるまい。
作り手への感謝や礼儀は大切だが、料理は出された瞬間に作り手から食べる人のものになるという考えも成り立つ。
その人が美味しくいただくことが、食材に対する最高の礼儀だと思う。
 
 
アルゼンチンでは、サラダドレッシングといものがほぼ存在しない。
レストランでも、客が塩と酢とオイルをかけて自分で味付けする。
以前アルゼンチンのユースチームが日本に来た時、ホルヘは1週間ほど同行した。
食事はホテルのレストランで、サラダにはドレッシングがかかっていた。
すると3日目に監督から、「ドレッシングはかけないで、テーブルに塩と酢、オイルを置いてくれ」との要望が出た。
「塩分と油分を各自でコントロールできるから」というのが理由だったが、選手たちは塩もオイルもたっぷり注いでいた。
コントロールというのは名目で、いつもの習慣通りにしたかったのだろう。
 
 
しかし2年ほど前、ブエノスアイレスのレストランのテーブルから塩が消えた。
アルゼンチン人はビフテキとポテトフライのセットが好きで、それにバンバン塩を振る。
ステーキには塩味がついているが、ポテトにかけるついでに肉にもかける。
それが塩分の摂りすぎで生活習慣病につながるというので、条例でテーブルに塩を置くのが禁止された。
 
 
もちろん、頼めば持ってきてくれる。
テーブルにあれば習慣的に塩をかけてしまうが、頼む手間を生じさせることで、塩を使う人を減らそうというのだ。
いい考えだと思うが、その効果のほどはわからない。
 
 
昨年12月にアルゼンチンで年配の人たちと会食した時のこと。
それぞれが注文した料理と塩などがテーブルに揃った。
ホルヘの斜め前にいた人が、「塩を取ってくれ」というので、「はい」と手渡そうとした。
するとその人は、「テーブルに置け」という。
「何で」と思いキョトンとしていると、「知らないのか。塩は手渡してはいけないんだ」といわれた。
 
 
これはエチケットというか伝統らしい。
もっとも、若い人たちはほとんど気にしていないそうだ。
その人の説明によると、これは大昔のヨーロッパで生まれたものなので、アルゼンチン以外の国にも伝わっているはずだという。
塩が貴重品だった時代、給料は塩で支払われていた。
ラテン語で塩はSAL、給料はSALARIUM、スペイン語ではSALにSALARIO。
そう、サラリーマンのサラリーは塩に由来するのだ。
 
 
容器に入れた貴重品の塩を給料として渡すとき、手渡しの瞬間に容器を落として塩をぶちまけてしまうと、渡す側の責任か受け取る側の責任かわからない。
そこで責任の所在を明らかにするために、一度置くことになったのだという。
 
 
なかなか面白い話を聞いた。
日本に戻ってきてからは、「塩取って」というフリをしたあと、このうんちくを披露して悦に入るようになってしまった。


About The Author

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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