日本代表はなんとかグループリーグを突破したが、西野采配の評価は真っ二つのようだ。
あれが良かったのか、悪かったのか、ホルヘにはわからない。
目的を達するためだったとはいえ、あまりにも姑息ではあった。
しかもコロンビアが守り切ってくれることに期待しての他力本願。
いかにもサムライらしからぬやり方ながら、戦国武将の中には、家を守るために謀計を繰り返した者は多い。
 
 
武田信玄や織田信長といった大大名格のブラジルやドイツならいざ知らず、地方豪族に毛の生えたような小大名格の日本には、その場その場での臨機応変の策が必要だろう。
なにしろFIFAランキングはグループ最下位で、3連敗してもおかしくないチームがそこを勝ち上がろうというのだ。
西野監督が就任時に、「魅せるサッカーを目指します」とでもいっていれば明らかな公約違反ながら、そうではない。
強豪3か国を相手にして勝ち上がることを目標とすれば、なりふり構ってはいられない。
 
 
日本が果敢に攻めて逆に失点を食らう可能性とセネガルが1点奪う確率を計りにかけたら、日本が失点する可能性のほうが高かったのではないだろうか。
ポーランドには今大会無得点でゴールに飢えたレバンドフスキがいる。
そして、徐々に彼にボールがハマりだしていた。
しかも、それは目の前で起こっている。
別会場のコロンビアが失点することより、日本が失点してしまうイメージのほうが強くなるのが人情だ。
 
 
だからといってあの采配を振るうのは、ホルヘだったらできない。
怖くてできない。
念願であったグループリーグ突破を果たしたのに、批判の声がある。
セネガルが1点入れて日本があそこで消えていたら、一体全体どんなバッシングの嵐に晒されることだろう。
攻め続けることで2点目を喫して敗退となっても、「0-1のままで終えることも頭をよぎりましたが、最後まで自分たちのサッカーを貫くことにしました」と記者会見でいえば、ほとんどの人が納得するに違いない。
つまり、攻め続けることを選ぶ方が楽な道なのだ。
 
 
それなのに、西野監督は逆の道を選んだ。
失敗すれば、日大アメフト部の前監督より叩かれるのは必至。
「あの西野」のレッテルが貼られ、「策士策に溺れる」と揶揄され続ける。
Jリーグの監督もテレビの解説者も人気商売の部分がある。
誰も火中の栗は拾わない。
そのまま干され続ければ、事実上、サッカー界での死を意味する。
それを承知の上で選択したということは、「失敗したら切腹」というサムライの覚悟だったのだ。
采配の是非はともかく、この勇気ある決断には敬意を表したい。
 
 
高いチケット代を払って、あのような試合を見せられた中立の観客はたまったものではない。
ブーイングするのも当然だ。
日本人サポーターからもブーイングが飛んだという。
「こんな代表を応援しに来たのではない」という不満の表れだろう。
 
 
しかし監督の苦渋の選択、そしてそれに従った選手たちの無念の思いを汲んだサポーターはいなかったのだろうか。
監督批判は後回しとし、試合中は12番目の選手として一緒に戦うという姿勢はとれなかったのか。
ブーイングに晒されている代表に励ましの声援は送れなかったのか。
少なくとも、テレビでは聞き取れなかった。
 
 
しかし、このような場合はどのような声援をすべきだろうか。
景気のいいニッポンコールだと、「サポーターは攻めろといっている」と選手が誤解してしまいそうだ。
あくまでも声援は、時間稼ぎのパス回しに対して送っているのだということが明確に伝わるものでなければならない。
 
 
試合終盤で逃げ切りを図ってボールを回し始めると、南米では一般的に、パスがつながるたびに「オーレ」の掛け声を送る。
「オーレ」は闘牛士が牛を翻弄するときの掛け声だ。
勇ましくもなく、多少ユーモアがあり、逃げ切り狙いのシーンにピッタリだ。
 
 
牛が勝つことが滅多にない闘牛は、真剣勝負の戦いというよりショーやエンターテイメントのようでもある。
また新聞ではスポーツ欄に掲載されることが多い。
しかし元をたどればショーでもスポーツでもなく、宗教行事の一環だったという。
つまり、神事だ。
 
 
「オーレ」の掛け声はたしかにいいのだが、なんでもかんでも海外から取り入れるのは気に食わない。
ここは是非とも、日本独自のものを作りたい。
基本的に恥ずかしがり屋が多い日本人が声を合わせて叫ぶのだから、これまでにも発したことのある言葉がいい。
そしてユーモラスなもの。
さらに「オーレ」のように神事が関連していると、「逃げ切れますように」という神頼みになってさらにいい。
 
 
となると、日本の神事・相撲の土俵入りの際に皆が声をそろえる「ヨイショ」しかあるまい。
次回のW杯で代表が終盤にパス回しをはじめ、それに合わせてサポーターが「ヨイショ」と叫ぶ場面を想像すると、実に楽しい。
 
 
今回のようなことを避けるために、順位付けにカードの枚数を用いるのをやめて抽選にすべきだ、という声を聞いた。
日本とセネガルのようにすべてが同じなら、抽選で順位を決めるという案だ。
たしかにそうすれば、西野監督も2分の1の確率の抽選狙いなどはするべくもなく、最後まで点を取りに行くしかない。
そこまではいいのだが、実際に抽選になってそれで負けることを考えると忍びない。
 
 
そこでホルヘ案は、競技規則に「最後まで全力で戦わねばならない」という一文を加えること。
今回のように両チームが戦意を欠いたら、マッチコミッサリーなりレフリーが、「無気力試合」と認定して両チームのベンチに通告する。
 
 
それでもまだ消極的であったら、そのときプレーしていた選手を警告する。
それ以降は容赦なく一発退場。
プロの選手なら、全力でプレーしている振りをして手を抜くことができるので、完全に取り締まることはできない。
しかし、ある程度の抑止力にはなるはずだ。
少なくともFIFAに忠実で真面目な日本は、無気力試合が「悪」だと規則で定められれば、それに従う。
外国人監督であっても、日本協会がそれを許すことはないはずだ。
 
 
それにしても、「ヨイショ」や「無気力試合」など、今回はかなり相撲に引っ張られた。
 
※写真はイメージです。


About The Author

ホルヘ三村

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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