ウルグアイ代表のオスカル・タバレス監督が、またひとつ金字塔を打ちたてた。
彼は1988年に代表監督に就任し、90年イタリアW杯に出場。
その後はイタリア、スペインでクラブチームを指揮し、2006年に再び代表監督に復帰。
そして低迷していた母国を10年南ア、14年ブラジル、18年ロシアに出場させ、ベスト4、ベスト8へと導いている。
同じ国を率いて4回のW杯出場は、イングランドのウィンターボトム(50年ブラジル、54年スイス、58年スウェーデン、62年チリ)と西ドイツ(当時)のシェーン(66年イングランド、70年メキシコ、74年西ドイツ、78年アルゼンチン)と並ぶ世界記録だ。
 
 
選手時代に酷使した膝に問題を抱える彼は、日常生活に車椅子が欠かせないような時期もあり、任期満了のたびに勇退を希望してきたが周囲がそれを許さず、現在も22年のカタール大会まで契約を結んでいる。
長く監督をやれば試合数も増える。
16年の11月には西ドイツのヘルベルガーを抜き、同一国の代表監督として168試合という最多記録を更新。
そして先週のFIFAデーには、ペルーとのテストマッチで200試合の大台を達成した。
 
 
200試合の内訳は、テストマッチ88試合、W杯予選57試合、コパ・アメリカ30試合、W杯本大会20試合、コンフェデ杯5試合で、戦績は97勝51分け52敗となっている。
そして彼の下でプレーした選手は154名で、そのうち87名はタバレスが代表デビューさせている。
 
 
この前人未到の200試合に次ぐ2位は、ウルグアイ協会によると現ドイツ監督レーヴの179試合。
タバレスの72歳、レーヴの59歳という年齢を考えると逆転もあり得そうだが、それはレーヴが26年W杯までドイツを率いるのが絶対条件。
タバレスは来年のコパ・アメリカで6~9試合、W杯予選で18試合、そして数試合のテストマッチが加わり、カタールへの切符を逃したとしても230試合程度にはなる。
レーヴが現在の差をキープしてカタール後も続投すれば、マエストロ(タバレスの愛称)を抜くことありえるだろう。
 
 
ウルグアイにはもう一人、サッカーでギネスに認定されている男がいる。
それは元代表FWのセバスティアン・アブレウ。
1976年10月生まれの彼は現在43歳の現役選手。
94年にデフェンソール・スポルティングでデビューするとすぐに頭角を現し、その後はアルゼンチンのサンロレンソ、スペインのデポルティーボ・デ・ラ・コルーニャ、ブラジルのグレミオでプレー。
96年には代表にも呼ばれ、2012年まで74試合に出場し33得点を挙げている。
しかし、なぜかクラブチームでは腰が落ち着かず移籍を繰り返す。
そしてそれが積もりに積もって、2017年のアウダックス・イタリアーノ(チリ)への移籍で、「最も多くのクラブ(26クラブ)でプレーした選手」としてギネスに認定された。
その後さらに渡り歩き、今シーズンは29クラブ目となるウルグアイ1部のボストン・リーベルでプレーしている。

 
 
世界記録を持つタバレスとアブレウは、ウルグアイの人間国宝のようなものだ。
サッカーファンの中には、こうした記録やお宝に関心を持つ人も少なくない。
そんな方に朗報がある。Futbolastaというサイトで“Soccer Beat”なるオークションが10月25日から11月9日まで開催される。
マラドーナがA代表で初ゴールを決めた試合で着ていたユニホーム、第1回のW杯ウルグアイ大会で得点王となったスタービレが使用したスパイク、さらには同大会の銅メダルなどマニア垂涎のお宝が出品されるという。
興味のある方は、冷やかし気分で覗いてみるのも楽しいだろう。
 


About The Author

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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