先頃アメリカで開催され、チリが優勝したのはコパ・アメリカ・”センテナリオ“(100周年)だったが、今年のアルゼンチンは”ビセンテナリオ“(200周年)で湧いている。
200年前の7月9日に、アルゼンチンは正式に独立国家となったのだ。
アルゼンチンの重要な祭日は5月25日と7月9日。
1810年の5月25日にスペインからの独立を目指す革命宣言がなされ、その6年後の7月9日に独立がなされた。
2010年の5月25日は革命のビセンテナリオということで、ブエノスアイレス市でさまざまな催しが行われた。
世界一広い道路といわれ独立記念日の名がつけられたヌエベ・デ・フリオ大通りには、特設ステージが造られて夜遅くまで有名歌手らが無料コンサートを行った。
当時のクリスティーナ政権は、与党のプロパガンダにビセンテナリオをうまく利用した。
しかし今回、独立記念日のビセンテナリオは、ブエノスアイレス市では大きなイベントはなかった。
マクリ大統領らは独立の聖地トゥクマンへ出向き、そちらでは大規模なフェスティバルが開催されたものの、首都ではポロ競技場で儀仗兵のパレードが行われた程度。
とはいえ、街中には国旗があふれ、人々は歴史的な広場などに足を運んで200周年を祝っていた。
独立記念日の翌日、ホルヘはゴルフへ行った。
今年は、とにかく調子が悪い。
アルゼンチンのゴルフ場には、腕前によってティーショットを打つティーグランドが二か所設けられているところがある。
ハンディ0~24は白のレギュラーティーで、25以上は前方の黄色から打つように定められているのだ。
ホルヘたちがよく利用するローマスというゴルフ場は、元々ティーグランドはひとつしかなかった。
そこに黄色を造ろうとしたが場所がなく、女性用のティーグランドを利用することになった。
つまりハンディ25以上のゴルファーは、女性とほぼ同じ位置からティーショットを打つのだ。
女性のティーグランドは白のレギュラーティーよりかなり前方にある。
ホルヘの飛距離でも、これだけ前から打てれば、パー4のコースで2オンが狙える。
このおかげで、昨年の後半はかなりよいスコアを出すことができた。
池ポチャやOBも減り、ボールをなくすことが少なくなった。
ゴルフ道具は日本の量販店のほうがはるかに安いので、ホルヘはいつもロストボールを2ダースほど持って行っていた。
しかし大会の景品でもらった新品のボールが相当数溜まっていたし、最近はボールをなくさないので、今年は日本から持って行かなかった。
ゴルフのハンディとは不思議なもので、日本にいた約3か月の間にもなぜだか下がり、アルゼンチンに戻ったときは24になっていた。
つまり、レギュラーティーから打たなければならない。
久々のプレーに加え距離が長くなり、2回続けて120打近くの大叩き。
ニューボールも6個と8個失い、「日本から持ってくればよかった」と後悔した。
その後ハンディは再び26となり、独立記念日直後は、なんとネット73で優勝。
しかしこれで来月からハンディが下がり、白から打ってまた大叩きするはず。
大相撲で十両と幕内を行ったり来たりしている力士の気持ちが、なんとなくわかる。