前回に続きまして今回も、フォトグラファーである夫の体験談をもとに、サッカー場での写真撮影にまつわるお話をしたいと思います。
撮影する位置によって撮れるカットが全く異なるということについては前回お話したとおり。
自分の真ん前で展開する迫力満点の得点祝福シーンが撮れるのか、それとも無情にも逆サイドに走って行く得点者の背中をレンズで追うことになるのかは、本当に運次第。
どちらのチームを主体に撮るか決まっているときは、そのチームが攻めるゴール裏の右か左の二者択一となりますが、例えばリーグ戦の首位争いだったり、大きな大会の準決勝や決勝などでどっちが勝ってもおかしくないような試合をカバーする時、特にクライアントからリクエストがない場合は前半と後半でどのチームをどっち側から撮るかという、さらに難しい選択を迫られることになります。
先週末も夫は土日の2日間で3試合の取材に行き、2試合目までは選んだ場所が当たりだったのですが、3試合目で大ハズレ。
しかもそれが、夫がオフィシャルフォトグラファーを務めるボカ・ジュニオルスの試合だったというオチ。まあ、よくあることです。
でもこれまで、自分が決めた、又は希望していた場所で撮影できなかった時に限って、偶然にも素晴らしいカットが撮れたことも何度かありました。
その中でも一番思い出に残っている、奇跡に近かったエピソードをお話します。
 
 
あれは今から10年前、2006年のワールドカップ準決勝で、開催国ドイツがイタリアと対戦した時のこと。
ワールドカップの撮影では、基本的に試合の当該国のメディアに属するフォトグラファーが優先されます。
この「優先=プライオリティー」とはつまり、ピッチに入場できる順番のこと。
最もプライオリティーが高いのは当該国の大手メディアや通信社となっていて、各試合ごとにピッチレベルでの撮影が許可されるフォトグラファーのリストが作成され、プライオリティーグループの順番も決められます。
場所取りは早い者勝ちなので、フォトグラファーたちは試合前にプライオリティーの番号が書かれた札をもらい、順にピッチに入って自分が撮影したい場所を陣取ることになっています。
当時、アルゼンチンのメディアはどの試合でも比較的優先度が高く、おかげさまで大手メディアに属さないフリーランスの夫でもアルゼンチンの試合はプライオリティーグループ1、他国の試合でもグループ2に振り分けられて早めに入場できていたのですが、さすがに準決勝、しかも開催国ドイツ、さらに相手はイタリア!ということで、入場を希望するフォトグラファーの数もハンパなく、夫はプライオリティーの札どころかピッチ入場の権利さえもらえず、ウェイティングリストに回されて「空き」が出るのを待つことに。
結局、試合開始の直前に幸い名前を呼ばれてピッチに入ったまでは良かったものの、ゴール裏はすでにびっしり埋まっていて、ピッチ脇の看板の後ろからの撮影となってしまいました。
ピッチ脇は、夫が最も嫌いな場所です。
熱戦が続く中、慣れないサイドからの撮影に苛立つ夫。納得の行く写真が全然撮れません。
延長戦に突入してからも0-0の状態が続き、PK戦になったらその場所からどんな構図で撮ろうかと考えていたその時、奇跡が起こります。
119分にイタリアがファビオ・グロッソのゴールから均衡を破った直後、タイムアップ寸前にアレッサンドロ・デルピエロのダメ押しゴールを決まるという劇的な展開になったのですが(今思い出しても鳥肌が立ちますね!)、なんとデルピエロは得点をマークしたあと、ゴールの後ろをぐるりと回ってピッチ脇まで走り、夫の目の前でガッツポーズを決めたのです!
 

*デルピエロのゴールシーン(スタンドに向ってガッツポーズをするところで画面右下に夫がちらりと映ります)
 
 
 
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なぜデルピエロがゴールを祝福するためにわざわざあそこまで走って行ったのかというと理由は単純で、スタンドのあの位置にちょうど選手たちの家族が座っていたからなのです。
そんなことを全く知らず、あの場所で撮影をしなければならなかった不遇を120分の間ずっと嘆いていた夫。
アルゼンチンが敗退したショックからも未だ抜け出させず、撮影しながら「俺は一体何のためにこの大会に来たのか」と自問するほど凹んでいたところ、最後にデルピエロが奇跡を起こしてくれたおかげで感動的なシーンを至近距離から撮ることに成功。
イタリアの人々だけでなく、夫にとっても「神が降りてきた」瞬間となったのでした。
ところでこの試合、アルゼンチンでは誰もが完全にイタリア寄りで、勝った瞬間にうちの近所では爆竹が鳴り、テレビのニュース番組では「今日は我々も皆イタリア人」というテロップが出され、まるで自国の快挙のように盛大に祝福されたんですよ。
準々決勝でアルゼンチンがドイツに負けて敗退させられた悔しさもありますが、やっぱりここはイタリア移民の国であることを実感しました。
アルゼンチンにおけるイタリア色の強さについては、またの機会にお話しますね。