東京から新幹線で約3時間。
11月にもかかわらず新神戸の朝は意外と暖かかった。
電車を降り、さらに1時間半の旅路となる高速バスに乗り変える。
瀬戸内海を左手に見ながら、私は11年前のあの日の光景を思い浮かべていた。
 
 
41試合にも及ぶ激闘を経て、迎えたJ2最終節。
昇格チームも、昇格プレーオフ進出の4チームも、J2・J3入れ替え戦進出チームも、降格チームも、何1つ決まっていないという過去に類を見ない状況の中、私は徳島に向かっていた。
9位の徳島ヴォルティスと2位の清水エスパルスが対峙する90分間。
既に昇格の目を絶たれていた前者が、最終節を前に今シーズン初めて自動昇格圏内に浮上した後者を、ホームスタジアムである鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアムに招き切れる一戦に特別な想いを持って臨んでいたのが、1年でのJ1復帰を義務付けられた王国のオレンジを率いる小林伸二監督だ。
 
 
大分、山形と2つのクラブを初めてJ1昇格へ導いた手腕を買われ、小林が徳島に招聘されたのは2012年。
就任初年度こそ結果が出なかったものの、2年目は飛躍的にチーム力を向上させ、リーグ戦4位でJ1昇格プレーオフへ。
今はなき国立競技場で3位の京都を下し、クラブ史上初の、そして個人としては3クラブ目の昇格を堂々と達成してみせる。
ただ、挑んだJ1は茨の道。
結局ホームゲームでは1試合も勝つことができず、1年でJ2へと逆戻り。
昨シーズンも引き続き指揮を執ったが、まさかの14位に沈み、シーズン終了を持って契約満了に。
濃密な徳島での4年間にピリオドが打たれた。
 
 
そんな小林に新指揮官として白羽の矢を立てたのが清水だ。
“オリジナル10”として隆盛を誇ったオレンジ軍団もここ数年は迷走が続き、2014年シーズンはギリギリでJ1残留。
それでも翌シーズンも復調の兆しは見えず、とうとう初めてのJ2降格という憂き目を見ることになる。
それでも王国に居を構える伝統のクラブにとって、1年でのJ1復帰は至上命令。
そこで“昇格請負人”として定評のある小林にオファーが届く。
小林も新たなチャレンジを快諾し、昇格のみが唯一の“成功”という1年間がスタートする。
 
 
シーズン序盤はなかなか結果が出ず、前年から続いていたホーム未勝利の記録も更新し続けてしまう。
しかし、11ヶ月ぶりのホーム勝利を手にいれ、ようやく呪縛から解き放たれたチームは、小林の丁寧な指導が浸透し始めた夏過ぎから着実に勝ち点を積み重ね、順位もぐんぐん上昇。
特にシーズン最終盤に来て驚異的な追い上げを見せる。
第34節からは怒涛の8連勝を飾り、前述したように今季初めて2位まで浮上。
得失点差の関係もあって、勝てば自動昇格という状況までこぎつけ、最終節の舞台となる徳島に乗り込んできた。
その小林の昇格監督インタビューを撮影するため、私もかの地へ向かっていたという訳だ。
 
 
以前から親交のある小林のインタビューを撮影するために、スタジアムへ向かうのはこれが初めてではない。
2004年。残留争いに喘ぐセレッソ大阪の監督にシーズン途中から就任し、見事に残留というミッションを達成すると、一転して翌2005年は優勝争いに身を置くこととなる。
今シーズンと同じくシーズン終盤に差し掛かった頃から一気にスパートを掛け、最終節を前に首位に立つ。
「J1優勝監督のインタビューは撮り逃がせない」と急遽大阪行きを決め、決戦の地となった長居スタジアムで試合を見守る。
ところが、ほとんどタイトルを手に入れ掛けていた後半ロスタイムにまさかの失点を喫すると、チームは一瞬で5位まで転落。
試合後は2時間半近く待ち、ようやくロッカールームから姿を現した小林の“5位監督インタビュー”を行ったのを、つい昨日のことのように記憶している。
今回の徳島遠征は私にとっても、11年越しの勝者インタビューが実現するのか否かかという、個人的な因縁も孕んでいたのだ。
 
 
14時04分にキックオフされたゲームは、下部組織出身の犬飼智也が清水の選手としての初ゴールを叩き込んで先制したが、すぐに同点に追い付かれた。
同じ勝ち点で3位に付ける松本がシーソーゲームを繰り広げる一方、1-1で推移していた鳴門大塚の均衡が破れたのは73分。
エースの大前元紀に替わって投入された、弱冠21歳の金子翔太が勝ち越しゴールを記録する。
終盤は徳島の猛攻に遭いながら、何とか凌ぎ続けたアウェイチームの勝利を告げるホイッスルがピッチに鳴り響き、清水は1年でのJ1復帰を現実のものとした。
 
 
胴上げやウォーターシャワーの歓喜に包まれてから約30分。
ようやく取材エリアに小林が姿を現した。
隠し切れない満面の笑みで。
11年前に憔悴し切った顔で質問に答えてくれた彼の姿を思い出しながら、勝者インタビューを撮影する。
喜びを爆発させるというよりは、静かに歓喜を噛みしめるように一言一言を紡いでいく小林の姿をモニター越しに眺めながら、「ああ、やっとこういうインタビューが撮れたなあ」と実感した。
45歳だった小林は56歳に、26歳だった私は37歳になっている。
時の流れを感じながら、長居と徳島という2つの点が結び付き、この11年間が1つの線となったことで、サッカーという競技の持つ普遍性が我々を魅了していることも再確認できた、そんな徳島での1日だった。