30年ぐらい前のことだが、取材に行ったある中学年代の全国大会で審判員になるという珍しい経験をした。
全国大会の審判員は、主審が1級で線審(現副審)が2級というのが当時の基本。
これに、1級候補の2級や2級候補の3級が加わることもあった。
ホルヘは、ただの3級だった。
一時は上級審判を目指そうともしたが、小学生のサッカーチームの指導に携わってからはそちらに専念。
上を目指す審判員には、試合の割り当てがバンバン入る。
まず、それで試合数をこなして実績を上げなければならない。
試合は週末や祝日。
東京都リーグの試合とはいえ、会場が埼玉や千葉というのは普通だ。
道路渋滞に巻き込まれての遅刻を避けるため、公共交通機関を利用するというのが暗黙のルール。
となると半日以上が潰れるので、少年チームとの両立はできない。
それでも地元の成人大会で年に10試合程度、さらに少年チーム関連でその数倍はこなしていた。
 
 
全国大会には多くの審判員が召集される。
上を目指すものは、積極的に参加してアピールしたい場所だ。
大会前半は試合数が多いが、後半は減少する。
そうなると審判員が余ってしまうため、大半はそこでお役御免となる。
インスペクターがそれまでの審判技能などを判定し、優れたものだけが生き延びられる。
 
 
ホルヘが大会へ行くと、審判団の中に知り合いが2名いた。
一人は東京協会の指導的立場の人で、もう一人は地元の先輩。
すると彼らは、「ラッキー!」という顔でニンマリし、ホルヘをインスペクターに引き合わせた。
お偉いさんに挨拶させてくれるのだと思い喜んでいたら、「彼なら大丈夫です」「私は何度も彼と一緒にやっています」などと、件の二人がインスペクターに話している。
どういうことかというと、審判員に急遽欠員ができてしまい、試合への割り振りで頭を痛めていたところにホルヘが登場。
「こいつを穴埋めに使おう」と知り合い二人が画策して上申したのだった。
 
 
そして、インスペクターがこれを受け入れた。
ホルヘも興味はあったものの、仕事に影響しては困る。
そこで、取材したい試合と重ならないように割り当てることと、審判団のトレーニング参加は免除ということで引き受けた。
もちろん、用具一式は貸与してもらった。
 
 
現在は行われていないかもしれないが、当時は審判団の飲み会があった。
夕食の後、宿舎の一室に有志が集まる。
お互いの交流が深まるし、インスペクターから貴重な体験談を聞くこともできる。
その席でインスペクターが、「ブラジル代表に、ナントカっていう足の悪い選手がいた」と1974年W杯の話をした。
「なんだっけな、あの選手」と思い出そうとしているので、「ルイス・ペレイラですね」と助け舟を出した。
ホルヘは74年W杯でサッカーにハマったので、このときの選手には詳しい。
それから、「リベリーノのFKはすごかった」だの「ガトーハのスピードはなんだ」などの西ドイツ大会話が盛り上がり、インスペクターと親しくなった。
 
 
大会も半ばを過ぎ、正規に召集された審判員の多くがお役御免になる中、ホルヘは審判団に留まっていた。
ホルヘ担当の試合で重大なミスジャッジがあったもの、残されていた。
ある試合で、攻撃側がロングシュートを放った。
これがクロスバーの後ろのバーに当たってピッチ内へ戻ってきた。
そのサイドの線審(当時)だったホルヘはフラッグを上げてゴールキックの合図をしたが、主審はクロスバーに当たったと認識し、ホルヘを見ない。
プレーはそのまま続行されたので、フラッグを下ろして定位置へ移動した。
それから間もなくして、先のシュートを放ったチームがゴールを決めた。
 
 
このプレーには失点したチームからの抗議もあり、審判団で協議の対象となった。
現在は、副審は積極的に進言するよう求められているため、このケースでは、ゴールが決まった後、副審が主審に「ゴールラインを割っている」と告げ、主審がそれを受け入れれば、得点は無効でゴールキックでの再開となる。
しかし当時は、主審の権限と責任が強かった。
フラッグを見落とした場合、線審は「1・2・3」と数える間フラッグを上げ続け、それでも主審が笛を吹かなければ、それは終わったものとされていた。
その後は、主審から助言を求められなければ線審からアピールする術はなかったように記憶している。
 
 
ホルヘも事情聴取を受けたが、線審としての仕事に間違いはなかった、と判断された。
しかし、いわくつきの試合の審判員であったことはマイナス評価につながるのが普通だ。
ところがなんと、ホルヘは準決勝まで任されることになった。
これはもう、インスペクターの贔屓としかいいようがない。
おそらく二度とない機会だと思ったので、仕事そっちのけで引き受けた。
 
 
このケースと比べるわけではないが、審判の世界でも割り当てや昇級にはお偉いさんの意向が大きく働く。
そしてそれが、パワハラやセクハラにつながることもある。
最近、コロンビアの審判界でスキャンダラスが露呈した。
主役は、元国際審判員のオスカル・ルイス。
彼は日韓、ドイツ、南アのW杯3大会で主審を務め、IFFHSによる2001~2010年審判員ランキングのベスト3に選ばれている。
ホルヘも彼が裁く試合を何度も見たことがあり、毅然としたジャッジに好印象を持っていた。
弁護士の資格を持つエリートで、引退後もコロンビア審判界の重鎮として活躍していた。
 
 
その彼が、審判員からセクハラで告発された。
しかも相手は男性。
「性器や尻を何度もさわられた」と訴え、他にも被害者はいるとぶちまけた。
中には、ボディタッチを強い態度で拒否すると、その後、試合の割り当てが一切なくなった審判員もいるという。
 
 
この勇気ある告発に、「おれもそうだ」「同じようにされた」と続いたのがなんと35名。
彼らが連名で訴状を提出した。
当のルイスは、事実無根の誹謗中傷だとして逆告訴したが、公正との信頼を得ていた元国際審判員を信じる向きは少ない。


About The Author

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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