正月の2日に南米の新聞をネットでチェックしていたら、天皇杯のことが載っていた。
見出しは、「2020年初の得点はオウンゴール」というもの。
時差の関係で日本が先に新年を迎えるので、天皇杯は世界で最も早い公式戦となる。
そしてそこでの初得点がオウンゴールだったということは、世界的には話題となったようだ。
 
 
またメキシコからも新春サッカーのニュースがあった。
同国中央部のサカテカス刑務所で新年を祝うサッカーの試合が行われた。
対戦したのは、ゴルフォ・カルテルとセタス・カルテル。
ともに凶悪な麻薬組織だ。
血の気が多いうえに敵対心も持っている両チームの戦いはフェアプレイとはかけ離れており、やがて乱闘へ突入。
すると応援をしていたそれぞれのカルテルのメンバーが、隠し持っていた武器を取り出してこれに参加。
驚くべきことに、武器の中にはピストルも多数あった。
そして当然のごとく銃撃戦となり、16名の死者と22名の負傷者が出たという。
なんとも恐ろしい初蹴りだ。
 
 
アルゼンチンリーグは休止期間で、1月末からの再開に向けて各チームは年明けからキャンプに入った。
以前ボカの会長選挙について触れたが、投票の結果は、クラブの元スーパースターだったリケルメを第二副会長に据えたアメアル派が圧勝。
リケルメは補強の人選で主導的立場となったが、希望していたペルー代表FWのゲレーロとチリ代表MFアランギスの獲得はならず。
しかしアルヘンティノスとボカのユース時代から一緒だったベテランのアルセを戦力外とし、ユースでも7名もの年代別チームの監督を替えるなど大ナタを振るい、改革に取り組んでいる。
なお昨年1年間指揮を執ったアルファロとは契約を更新せず、リケルメがボカに復帰した2007年の監督だったルッソを招聘した。
 
 
同じく昨年12月に会長選挙が行われたサンロレンソは、副会長だったテレビ界の司会者兼プロデューサーの超大物ティネリ(写真)が今回は会長候補として出馬し大差で当選を果たした。
副会長時代にコパ・リベルタドーレス初制覇と元のスタジアムがあった土地を取り戻すという二大悲願を達成したティネリ。
次なる目標はその土地に新スタジアムを建設することだ。
 
 
エル・ガソメトロと呼ばれた旧スタジアムはブエノスアイレス市内でも利便性の良いボエドにあり、立見席を含み約75000人の収容人数を誇った。
1939年には照明塔が設置され、国内初のナイトゲーム可能スタジアムとなり、代表チームの試合会場としても使用されていた。
しかし79年に財政悪化のため売却せざるを得なくなった。
 
 
現在は約47000人収容のヌエボ(新)・ガソメトロをホームとしているが、ここは立地条件が非常に悪い。
三角形をした土地の一辺が犯罪者の巣窟として名高い、ビジャ1-11-14というスラム街に面している。
ホルヘは以前、このスタジアムで行われる試合に行こうとタクシーを止めたら、「そんな危ないところへは行かない」と乗車拒否された。
 
 
こんな場所から元のボエドに復帰するのはサンロレンソの悲願だが、ネックとなるのは建設資金だ。
ティネリは会長選に際してのPRで、「会長になったら中国へ行き投資家を探す」と訴えていたが、果たしてうまくいくだろうか。
 
 
また、もう一つの問題点は近隣住民の合意が得られるかだ。
スタジアムが近くにあると試合の際は警察に道路が封鎖されたりバラス(フーリガン)が暴れたりと生活に支障をきたす。
エドの地を再取得する動きが始まった数年前に乗ったタクシーの運転手は、大のサンロレンソファンだった。
そして住んでいるのはボエドだという。
そこでスタジアム問題について訊いてみたところ、「スタジアムはボエドに建てないでほしい」といっていた。
ティネリにとっては、資金調達よりこちらの方が難題かもしれない。


About The Author

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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