湯川さんが、残念なことになったらしい。
 
彼と後藤さんが身柄拘束されたことについて、「自己責任」という言葉を聞く。
 
危険を承知で行ったのだから、責任はすべて本人にある、ということだ。
 
ホルヘも、重大な覚悟を持って危険地帯に入ったことがある。
 
 
 
2001年6月、コロンビアでコパ・アメリカが開催された。
 
その直前にアルゼンチンでU-20W杯が行われ、それには日本代表も出場した。
 
翌年は韓日W杯ということもあり、U-20を取材して
 
そのままコパ・アメリカに行こうという日本のメディア関係者がたくさんいた。
 
3月頃、面識のない大手新聞社の記者から連絡があり、お願い事があるので会って欲しいといわれた。
 
面談すると、コロンビアに行くことになったが、怖い場所と聞いているので、
 
現地で一緒に行動してほしい、ということだった。
 
 
 
当時はまだ反政府ゲリラのFARCや麻薬カルテル系ギャングの活動が活発で、
 
誘拐は彼らのビジネスとして頻繁に起きていた。
 
犯人と家族の間に立って交渉をまとめる代理人業が、仕事として成り立つほど多かったのだ。
 
日本人も何人か誘拐され、殺されたケースもあった。
 
 
 
たしかに、コロンビアは危険地帯だった。
 
しかし、コパ・アメリカという国を挙げてのイベントが開かれるのだから、
 
その間は大丈夫だろうと思われていた。
 
 
 
ところが、その期待が崩れ去る。
 
U-20W杯開催中、コパ・アメリカの副組織委員長が誘拐された。
 
他にもキナ臭い事件が起こり、危険度が一挙にアップ。
 
そしてついに、アルゼンチン代表は出場辞退を決めた。
 
 
 
代表チームはスター選手を抱えており、彼らが誘拐の標的になることが考えられた。
 
身代金の要求は所属クラブに向けられるだろうし、誘拐行為が失敗に終わっても
 
選手がその際に負傷もしくは命を落とす可能性もある。
 
こうしたことから、アルゼンチン代表選手を保有するクラブから強烈な圧力が掛かった結果だった。
 
コロンビアは政府も乗り出して説得したが、翻意させられなかった。
 
 
 
アルゼンチン代表の出場辞退は、「コロンビアは非常に危険」というイメージを決定的にした。
 
これにより、コパ・アメリカ取材を予定していたメディア関係者は、U-20W杯終了後日本へ帰国。
 
コパ・アメリカへ行った日本人はホルヘ1人だった。
 
 
 
コロンビアへは過去に何度も行っていたが、このときは、それまでとは違う危機感をもっていた。
 
「ひょっとすると、何か起こるかも」という考えが常に頭の中にあった。
 
しかし、行かねばならない。「行かない」という選択肢はなかった。
 
 
 
出発前、自分が誘拐される、という想定をしてみた。
 
フリーランスなので、身代金を払ってくれる会社がない。
 
社命で行ったのなら、会社には身代金を払う義務があると思う。
 
しかし、ホルヘの場合は自分の意志だ。
 
となると、犯人は家族に要求するだろう。
 
果たして、いくらまでなら払えるのか。
 
犯人がギャングでなくゲリラなら、日本政府に直接要求することもありえる。
 
 
 
そこで考えた。日本でニュース沙汰となり、政府が身代金を払って解放されたとしたら、
 
その後どのような顔をして生きていけばいいのか。
 
それよりもまず、政府に迷惑をかけてまで助かることはしたくなかった。
 
そこで知人に、「自分が勝手に行ったことなので、政府は交渉に応じる必要はない」というメッセージを託し、
 
万が一のときはそれをアルゼンチンの日本大使館に届けるよう頼んだ。
 
 
 
しかし今思えば、それも若気の至り。
 
邦人が人質となれば政府は救出に全力を挙げるものであり、どのような方法を使おうとも、
 
親は息子の帰還を願っていることを今回のことで思い知った。
 
 
 
Yo soy Kenji I am Kenji


About The Author

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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