オルテガ引退 ホルヘ三村 2013年7月19日 ホルヘ・ミム〜ラ 7月13日にオルテガの引退試合が行われた。 フランチェスコリやソリンなども参加したアミーゴ・デ・オルテガチームがリーベルと対戦した。 ホルヘは行かなかったが、会場のリーベルスタジアムには6万人以上が集まった。 全盛期をイタリアのジェノバなどで過ごしたが、現地での評価はそれほど高くなく、 日本でも「オルテガはボールを持ちすぎる」「ひとりでプレーしている」などの批判が聞かれた。 しかし彼は、アルゼンチンでは非常に好かれた選手だった。 お国柄にあっているとでもいうのだろうか。 たしかに彼はドリブルが多い。それでチャンスを潰すこともあった。 しかしそのスタイルが、アルゼンチン的なのだ。 アルゼンチンではトップ下をエンガンチェと呼び、そこは花形選手のポジション。 ところが最近はサッカースタイルの変化により、昔ながらのエンガンチェは姿を消している。 したがって、彼が最後の伝統的なエンガンチェだったともいえる。 おまけに酒好きで、練習を二日酔いですっぽかしたり、自動車事故を起こしたりとトラブルも起こす。 それがマラドーナのように傲慢や不遜の故でなく、間抜けさから来るので人間的にも愛されている。 韓日W杯のアルゼンチン代表は、本大会では早々と姿を消した。 これは3バックの中心にしてかけがえのない存在だったアヤラが、初戦のアップ中に故障し、 1試合にも出られなかったことが大きい。 それにより相手のカウンターに対し3バックがコントロールできずに失点を喫した。 しかしこのチーム、南米予選では圧倒的な強さを誇り、本大会の優勝候補でもあった。 監督はビエルサで、非常に高度な戦術を用いていた。 ほぼ全員がヨーロッパ組で代表が集まっての練習時間は少なく、その中で戦術を身につけさせるのは難しい。 そこでビエルサは、ユースの選手に動きを完璧に覚えさせ、代表合宿に彼らを呼びプレーさせた。 代表選手はそれを見て、あるいはピッチに入って後を追いながら動き方を覚えた。 それほど緻密に作られたチームだったが、ビエルサはオルテガには自由にプレーさせた。 前線のリベロという感じで放し飼い。 オルテガは、規則よりも感性に従ってプレーすることで結果を残す。 ビエルサはあえて彼を飼いならさず、野生のまま用いたのだ。 そしてオルテガは、切り込み隊長として期待に応えた。 アルゼンチンスタイルを貫いた彼の引退により、ひとつの時代に幕が下りたような気がする。 Tweet