コパ・リベルタドーレスは、アルゼンチンのサンロレンソがパラグアイのナシオナルを
2試合トータル2-1で下し悲願の初優勝を飾った。
サンロレンソの正式名称はCLUB ATLETICO SAN LORENZO de ALMAGROで、
サンロレンソではなく「サン・ロレンソ」(聖ロレンソ)と分けて書くのが正しい。
名前の由来は、創立に貢献したロレンソ神父の名を冠したのだという。
de ALMAGROは、「アルマグロの」という意味。
ブエノスアイレス市内のアルマグロ地区を本拠地としているということだが、これが少しややこしい。
本来本拠地だったところは、アルマグロの隣のボエド地区。
しかし創立時の地区割りではボエドもアルマグロに属していたのでこの名前を付け、
ボエド地区が誕生してからも名称を変えなかった。
その後経済的理由から市内の外れにスタジアムは移転。
周囲はスラム街という危険地帯だ。
チーム名は一般的にCASLAと略されるが、アルゼンチンの5大クラブながら
コパ・リベルタドーレスとは縁がなかったため、ライバルチームのサポーターからは、
その略称をもじり、CLUB ATLETICO SIN LIBERTADORES de ARGENTINA
(リベルタドーレスのないアルゼンチンのクラブ)とからかわれていた。
それだけに、このタイトルはどうしても欲しかったのだ。
サンロレンソは、ローマ法王のフランシスコが愛するクラブでもある。
聖職者だからサンロレンソという名を好んだわけでなく、生まれながらのファン。
クラブも彼を誇りに思い、法王の顔をユニホーム入れてプレーした。
法王がサンロレンソの優勝を知ったのは、韓国に到着してすぐ。
「私にとってサンロレンソは家族のクラブだ。父は小さいときからバスケットチームでプレーしていたし、
母はいつも私とスタジアムに来ていた」と愛着を語った。
翌週の一般接見には、会長、監督と選手2名らが優勝カップを手にバチカンを訪問。
前日に甥一家が交通事故で死傷する不孝があったものの、
このときばかりはそれを忘れて満面の笑みでカップを手にした。
ローマ法王というと別世界の人間と思えるが、素顔はどこにでもいるようなサッカー好き爺さんだった。