コパ・スダメリカーナといえば、昨年12月の決勝戦へ向かうシャペコエンセが飛行機事故に遭遇した大会。
南米では、年の上半期がコパ・リベルタドーレス、下半期がコパ・スダメリカーナとなっていたが、今年から両大会が同時期の通年開催へと変更された。
これにより同じクラブが両大会に参加することはできなくなり、リベルタドーレスが上位大会、スダメリカーナはそれに準ずるものとなった。
ようするに、ヨーロッパのチャンピオンズリーグとUEFAリーグを真似たのだ。
 
 
この大会にボストン・リーベルというウルグアイのクラブが初出場している。
チーム名のボストンは、創立時の場所によるものらしく、リーベルはアルゼンチンのリーベル・プレートから付けたもの。
初代会長がアルゼンチン人で、リーベルの大ファンだったのだ。
80年ほどの歴史はあるものの、ずっとアマチュアレベルだったうえ長らく休眠状態にも陥っていた。
しかし、18年前に復活して昨シーズン1部リーグに昇格を果たし、6位でスダメリカーナへの出場権を得た。
 
 
しかしウルグアイには、66シーズンも1部リーグでプレーし、スダメリカーナはもちろんリベルタドーレスにも出場しているリーベル・プレートというクラブが別にある。
こちらのリーベルは、フルネーム(Club Atletico River Plate)もアルゼンチンのものと同じ。
とはいえ、直接パクったのではない。
ちょっと複雑なのだが、このリーベルはオリンピア・フットボールクラブとクラブ・アトレティコ・カプーロが1932年に合併して誕生したもの。
その際、1897年から1925年まで存在していた強豪のリーベル・プレート・フットボールクラブに敬意を表してその名を拝借。
そしてサッカーだけでなく他のスポーツも行っていたことから、フットボールクラブをクラブ・アトレティコに改めた。
 
 
ラプラタ河はスペイン語ではRio de la Plataで、Rioが川(河)、Plataが銀。
海から船で来ると、河面が銀色に見えたからそう呼ばれるようになった。
もっとも、ラプラタ河というのは河口近くの急激に広くなった約300キロメートルの部分だけで、その上流はウルグアイ川とパラナ川だ。
ブエノスアイレスやモンテビデオはラプラタ河に面しており、イギリスから送られてくる荷物には、「River Plate行」と書かれてあった。
Rio はちゃんとRiverと訳されているが、PlataはSilverでなく、スペルが似ているからかPlateとなっていた。
これが面白いということでクラブ名にしたのが、ウルグアイのリーベル・プレート・フットボールクラブ。
アルゼンチンのリーベルも同じ理由で名づけられたが、クラブが誕生したのは4年後のこと。
つまりリーベル・プレートの元祖はウルグアイなのだ。
しかし、最初にこの名を冠したクラブは1925年に消滅している。
となると、現在において本家筋といえるのは、1932年から名前を引き継いだウルグアイのリーベルなのか、それとも1901年から名乗っているアルゼンチンのリーベルなのか。
もっとも、世界有数の実績と規模を誇るアルゼンチンのリーベルにすれば、こんな論争はナンセンスで、「うちが本家」ということになるのだろう。


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ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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