懐かしのポーランド ホルヘ三村 2017年12月9日 ホルヘ・ミム〜ラ, 日本サッカー 日本が入ったグループHのシード国ポーランドには、格別な思いがある。 ホルヘが少年時代、海外サッカーの報道はほとんどなく、今はなきイレブン、サッカーマガジンという専門誌が外の世界との窓口だった。 そしてもう一つ、伝説のサッカー番組「三菱ダイヤモンドサッカー」が海外の試合を伝えていた。 ホルヘがW杯と出会うのは、この番組だった。 毎週録画で、1974年西ドイツ大会の試合を放映しており、そこでオランダとポーランドの虜になった。 当時、共産圏の国は、プロ選手が出場しない五輪では優勝などの好成績を収めるが、レベルの高いW杯では苦戦するのが普通だった。 しかし、ポーランドはこの大会で見事3位となったのだ。 GKはトマシェフスキーで、PKを何本か止める活躍を魅せた。 DFにはゴルゴンという、名前にふさわしい巨漢選手がいた。 そして、中盤の柱はディナ。 テクニシャンでFKが上手いイケメン選手だった。 当時のフォーメーションは4-3-3が一般的だったがポーランドはやや変則で、ラトー、シャルマッフ、ガドーハの3人がポジションチェンジを繰り返す2トップ。 しかし実際には、左にガドーハ、中にシャルマッフ、右にラトーの形が多かった。 両サイドウィングは破壊的なスピードで相手DF陣を切り崩した。 ラトーは切り込んでのシュートも得意で、7ゴールを挙げて得点王に輝いている。 ラトーは100メートル11秒台の俊足で、小刻みにボールをまたぐようなステップで仕掛け、そこからロケットスタートで相手を置き去りにする。 テクニックのないホルヘにこのプレーはピッタリだと思い、毎日練習したものだ。 しかし特に足が速いわけではないので、実戦では役に立たなかった。 このように思い出深いポーランドと日本が同グループになったことは嬉しいことだ。 1974年、日本はサッカー後進国だった。 あれから44年。 あこがれだったポーランドに、我が代表はどこまで迫れるのか。 ブラジルW杯に続きまたもや同じグループとなったコロンビア。 前回は主力温存メンバー相手に1-4の大敗を喫している。 今回は初戦なので、ベストメンバーで来ることは間違いない。 前回は負傷で外れた、絶対的エースのファルカオも加わる。 さらにやっかいなのは、攻撃的MFのカルドーナが新メンバーとなったことだ。 彼はボールタッチやドリブルが好きな、癖のある選手。 日本選手の常識から外れるところも多いので、戸惑うことがありそうだ。 ロドリゲスが負傷中に代役となり、そのまま定着した。 キレキレのロドリゲス、過激なゴールパフォーマーのファルカオに独特のリズムのカルドーナが加わると、守る方はどのように対処していいかわからくなる。 しかし、このカルドーナに暗雲が。 コロンビアは、先ごろ韓国とテストマッチを行った。 そこで両チームがエキサイトした際、カルドーナは自らの両目じりを指で引っ張り、アジア人を侮辱するジェスチャーを行った。 すぐにインスタグラムで謝罪したものの、FIFAが最高5試合の出場停止を科す可能性が出てきた。 出場停止といえば、3週前の「世界最小」の中に書いたペルーのゲレーロだが、1年間の出場停止が確定し、W杯への道が閉ざされた。 南米予選後のドーピング検査でコカインの陽性反応が出たためだが、本人はコカインの使用を否定し、「コカ茶によるものだ」と訴えていた。 コカ茶はコカインの原料であるコカの葉のお茶で、ペルーやボリビアでは普通に飲まれている。 1994年アメリカW杯予選のボリビア対ブラジル戦後、ブラジルGKタファレルがコカイン陽性となったが、そのときはコカ茶のせいだったとして不問になっている。 ゲレーロの弁護士は、「不当な決定なので、最後まで戦う」と、処分の撤回を求めるという。 グループHもう一つの国であるセネガル。 1987年のキリンカップで来日し、日本とは2-2だった。 試合の印象はほとんどないのだが、民族衣装を着た役員たちを近くで見て、みんな2メートル級の巨人だったことに驚いた記憶がある。 コロンビアは前回のブラジルW杯直前、アルゼンチンでキャンプを行い、仮想コートジボアールとしてセネガルとテストマッチを行った。 結果は2-2で、技のコロンビア、パワーのセネガルという感じ。 国際的知名度がないため、日本より下と思ったら大間違い。 強引な力勝負に苦戦必至だ。 むしろ、ちゃんとしたサッカーをするポーランドのほうが戦いやすのではないか。 ※写真はコロンビア対セネガルのものです。 Tweet