2000年のトヨタカップでレアルを倒し世界王者なるなど、名将ビアンチの下で黄金期を築いたボカには、GKコルドバ、DFベルムーデス、MFセルナ(冒頭写真)のコロンビアトリオがいた。
彼らは3人ともチームに不可欠な存在で、「エル パトロン」(元締め)と呼ばれていたストッパーのベルムーデスはキャプテンでもあった。
 
 
リーベルでもストライカーのアンヘルにファルカオ、DFのジェペスらのコロンビア勢が活躍。
サンロレンソには、後にインテルで世界的DFと評価されたイバン・コルドバが在籍していた。
 
 
このように20年ほど前からコロンビア人選手がアルゼンチンでプレーするようになっていたが、最近その数がどんどん増えている。
マドリード開催で話題になったコパ・リベルタドーレス決勝でも、ボカのバリオスは中盤の核となり、リーベルのキンテーロは決勝点を決めてコロンビア勢の存在感を示した。
 
 
新シーズンに向けてチーム作りを行っているアルゼンチンの各クラブ。
新規加入と継続を合わせると19名のコロンビア人選手が登録されており、さらに数名と交渉中だという。
以前は外国人といえばウルグアイかパラグアイと相場が決まっていたが、今やコロンビアもアルゼンチンリーグへの有力な選手供給国となっている。
 
 
この理由の一つは、コロンビア人選手のレベルが上がったこと。
以前のベルムーデスらはすでに代表選手として実績や経験を積んでいたが、最近は無名の選手が多い。
そのレベルでもアルゼンチンの眼鏡にかなうようになってきたのだ。
またファルカオを見習って、ユースの段階からアルゼンチンへ来る者も増えている。
 
 
コロンビアの首都ボゴタは標高2600メートル。
北部の商業都市バランキージャは気温40度超となる灼熱の地。
酸素が薄い高地や猛暑の中という過酷な条件でプレーするため、コロンビアのスタイルは省エネだ。
選手や代理人の目指すところは欧州リーグだが、欧州のスカウトが省エネサッカーを観ても、激しいリーグで通用できる選手かどうか判断できない。
そこで、選手を保有するクラブや代理人は、アルゼンチンを見本市会場として利用する。
ここで活躍できれば、欧州のスカウトも認めるからだ。
このような思惑からレンタル料を安くして売り込むことで、コロンビア人選手が増えているのだ。
 
 
そして、アルゼンチンの環境も変わった。
白人社会でプライドが高く排他的なため、外国人や黒人への差別が強かった。
しかし現在は、試合中にカッとなっての差別発言でも処罰の対象となるので悪しき習慣は減少し、それがコロンビア勢の追い風となっている。
 
 
コロンビアにアメリカ・デ・カリというクラブがある。
国内リーグ優勝13回、コパ・リベルタドーレス準優勝3回という名門だ。
ニックネームは「赤い悪魔」。
ベルギー代表、韓国代表、マンチェスターユナイテッドなど、この異名を持つチームは多い。
しかしアメリカ・デ・カリはこの呼び名をクラブの象徴とし、ご丁寧にもエンブレムの中に悪魔を描き入れている。
しかし先ごろペレス会長は、悪魔を消してアメリカの「A」と創立年の「1927」を入れた新エンブレムを使用することを発表し、サポーターから大きな批判を受けている。

 
 
赤い悪魔のニックネームは、1940年代にこのクラブの試合を観たアルゼンチンの記者が発した感想から生まれたとされている。
そして、1950年からエンブレムに悪魔が入った。
しかし創立から50年経っても、準優勝が2回だけで栄冠からは見放されていた。
1979年に就任したウリベ監督が彼の霊感により、「悪魔は不吉だから外せ」と要求。
その通りにすると、たちまち初優勝。
さらに82年からは5連覇を達成した。
ウリベ監督が指揮を執った計12年間、エンブレムに悪魔はいなかった。
 
 
熱心なカトリック信者は、悪魔を忌み嫌う。
このような選手は、悪魔入りのエンブレムを外したりユニホームと同色の布で覆って隠すこともあった。
つまり、エンブレムがある選手とない選手がいるわけで、現在はルール上許されない。
 
 
名門のアメリカ・デ・カリだが、経営難から2012年に2部へ降格し、17年にやっと復帰を果たした。
ペレス会長は1979年から80年代の黄金期を再び取り戻そうという「レトロ回帰キャンペーン」を行っており、新エンブレムはその象徴として半年だけ使用するとしている。
 
 
しかし、実際のところは商売の要素が強いようだ。
今季から、ユニホームのサプライヤーが変わった。
メーカーとしてはファンにユニホームをたくさん買ってもらいたい。
そのためには、これまでのメーカーのものと変化をつけねばならない。
期間限定の特別エンブレムというのは、マーケティングには極めて有効な方法だ。
 
 
しかしサポーターの多くは悪魔に愛着を持っており、新エンブレムには批判的。
さらに、クラブとメーカーの商魂にも気づいている。
多くの会員数を誇るサポータークラブのいくつかは、「我々は新エンブレムのユニホームは買わない」と発信し、不買運動のような状況になっている。
 
 
1979年は悪魔を外して成功したが、今回はクラブに暗雲が立ち込めてしまった。
さすがは悪魔。
一筋縄ではいかないものだ。


About The Author

ラテンのフットボールを愛し、現在はgol.アルゼンチン支局長として首都ブエノスアイレスに拠点を置き、コパリベルタドーレス、コパアメリカ、ワールドカップ予選や各国のローカルリーグを取材し世界のメディアに情報を発信する国際派フォトジャーナリスト。 取材先の南米各国では、現地のセニョリータとの密接な交流を企でては失敗を重ねているが、酒を中心としたナイトライフには造詣が深い。 ヘディングはダメ。左足で蹴れないという二重苦プレーヤーながら、美味い酒を呑むためにボールを追い回している。 女性とアルコールとフットボールの日々を送る、尊敬すべき人生の達観者。

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